バースデーパーティの創意工夫は、お母さんの愛情のカタチ
パリからLAへ移住、EMIKOのティーンガール子育て
- 名前
- EMIKO
- 家族
- 17歳と15歳の女の子、フォトグラファーの夫と4人家族
- 所在地
- アメリカ・ロサンゼルス
- お仕事
- モデル、「nanamina」バイヤー、プライベートシェフ
- URL1
- nanamina
- URL2
- EMIKO (@emikohanawa) Instagram
【パリからLAへ移住、EMIKOのティーンガール子育て】
私の長女は再来週で17歳になり、そして次女はいま15歳です。ということは、少なくともこれまで毎年2回、15年間も娘たちの誕生日会をしてきた、ということになります。
初めての誕生日会は、当時暮らしていたパリで。1歳の長女の友達はまだいなくて、両家の家族にとって初孫だったナディアのために、私の母は日本から、夫の母はドイツからパリまでわざわざ来てくれて、さらに夫婦の仲の良い友人たちを交えてシャンパンとケーキでお祝いをしました。大人の集まりにふさわしい、お酒の効いたケーキを覚えています。
そんな長女4歳の誕生日。公園や幼稚園にも通っていたので友達もできはじめた頃でした。ピンクにどハマりしていた時期だったので、彼女からのリクエスト「Pink Party」を実現するため、私はせっせとピンクのメニューを作り、ケーキはピンクのシャルロットを作りました。
長女5歳の誕生日は、幼稚園のお友達とママたちが我が家のアパートに勢揃いしてくれました。子ども達だけでケーキを作りたい、という要望に応え、私はベースのスポンジケーキを事前に焼いておいて、子どもたちが集まってから、みんなでクリームとたくさんのフルーツでデコレーションをしました。
家族でアメリカに移住後も、工夫を楽しみながら娘たちの誕生日を過ごしました。次女のマリナが6歳の頃通っていたハリウッドの小学校では、誕生日に親がケーキを持参してクラスのみんなでお祝いできることになったので、私はカップケーキを作っていき、学校で生クリームのスプレーとイチゴでデコレーションしました。市販のお菓子に慣れているアメリカの子ども達にとても喜ばれたことを覚えています。
マリナ7歳の誕生日には、新しく引っ越したサンタモニカの家でお祝いをしました。ガレージをパーティー会場にして、飾り付けもがんばりました。タワーカップケーキを作り、お花をたくさん飾り、来てくれたお友達へのお返しのプレゼントにはイチゴの苗を選びました。
やんちゃ盛りだったナディア11歳の誕生日もまた、家のガレージで開催しました。壁に友達からナディアへのメッセージを書けるようにして、その後は撮影大会。変装グッズを揃えて、プロのカメラマンである夫が子ども達の写真を撮り、お友達の親御さんに送る、というパーティーでした。とにかくみんな元気で暴れまわっていました。
マリナの11歳の誕生日は、小さなボートを借りました。日没の時間に集合して夕日を見ながら海をクルージング。子ども達にもハンドルを握らせたり好きな音楽をかけたり、アシカの群れにも遭遇したりと、いつもと違うとても楽しい時間でした。
学校の卒業間近だったナディアの14歳の誕生日は、山で開きました。クラスの女の子がほぼ全員集合してくれて、メニューはサンドウィッチやフルーツのブロシェットなど、手軽に食べられるものを用意しました。テーブルに飾った小さな花瓶に入った花はそのまま、参加してくれた友達へのお返しとなりました。
こうして振り返ってみると、あらゆる手を使って子ども達を楽しませようとしていた私。子どもに「おめでとう」と言うのと同時に、自分にも「お母さんがんばった!お疲れ様!」って言ってあげたい気分です。
〈EMIKOさん連載〉
パリからLAへ移住、EMIKOのティーンガール子育て