インターナショナルな環境で培う、これからの国際理解教育

Choice

グローバルな子育て論|ダイバーシティを"当たり前"に

名前
Kira Bella(キラ・ベラ)
年齢
25
所在地
広島県北広島町
お仕事
地域活性化事業「Kirameki(煌めき)」創業者 兼 CEO
Info
取材・文/島谷美奈子
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世界が教室だった少女が語る、ダイバーシティを"当たり前"に育てる方法
子どもの頃から世界40ヵ国以上を巡り、広島で起業。経営の傍ら、2026年5月にジョンズ・ホプキンズ大学の持続可能エネルギー修士課程を修了したばかりです。多様性への理解、国際水準の確かな学力と、起業家精神を併せ持つキラさんに、Bright Choice読者に向けて、これからの時代を生きる子どもたちへのヒントを伺いました。

用意されたレールをなぞるのではなく、目の前の「好き」と「問題意識」から、自分だけの道をデザインしていく。"ひとまず始めて、走りながら直す"----そんなしなやかでたくましい生き方は、AI時代・グローバル社会を生きる子どもたちが身につけたい「じぶんで幸せをつくり出す力」の、最高のお手本です。全3回の連載で、その源泉をひもときます。

タンザニアで生まれ、オーストラリアで育ち、15歳で単身アメリカへ。第一言語はフランス語、母はミャンマー出身で仏教徒----。キラさんの生い立ちは、それ自体が一つの「国際理解教育」のようです。多様な文化が交差する環境で、彼女は何を受け取り、どんな人格の土台を築いたのか。グローバル社会を生きるわが子の「人としての軸」をどう育てるか、ヒントを伺いました。
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第1回|生立ち編
【「人生最初の5年間」が、人格の核をつくる】
bright choice(以下B): まず、幼少期について教えてください。とても国際色豊かな環境で育たれたそうですね。

Kira(以下K):生まれたのはアフリカのタンザニア、ダルエスサラームです。父が難民支援にたずさわる国連職員で、私は外交官の子どもたちが通うフランス系のインターナショナルスクールに通っていました。だから第一言語はフランス語。アジア系で、アメリカ人で、タンザニア人で、それでフランス語を話している......すごく不思議でしょう?(笑)。
家のすぐ裏はインド洋で、庭には猿が来て、毎日海で泳いでいました。スワヒリ語、ビルマ語、フランス語、英語が飛び交うなかで、一人っ子だった私は、いつも大人たちと深い会話をして育ったんです。今振り返っても、人生最初の5年は、まるで天国でした。人間の発達でいちばん大切なその時期に、私の人格の核ができた。今の私は、あの頃とまったく変わっていない、そのまま大きくなったんだと感じています。

B: お子さんを持つ読者にとって、「最初の5年間」という言葉はとても響きます。親はそこで何を大切にすべきだと思いますか?

K: 知識を詰め込むことよりも、「安心して、いろんな世界に触れられること」だと思います。私の場合はたまたま多言語・多文化の環境でしたが、大切なのは"環境の珍しさ"ではなく、子どもが好奇心を安心して広げられるかどうか。多様な価値観が当たり前にそばにある----それが、後の国際理解教育やダイバーシティへの感覚の、いちばん深い土台になるんです。

【3歳で知った「世界は安全とは限らない。でも、人は善い」】

B: 幼い頃から、世界の厳しい側面にも触れてこられたとか。

K: そうですね。3〜4歳の頃、父を訪ねてスーダンに行ったことがあります。空気は火薬と煙のにおいに満ちていて、女性である母と私は、外を出歩くことすら危険な状況でした。だから私は、3歳で「世界はどこでも安全とは限らない」と知りました。でも不思議と、まったく逆のことも信じられたんです。人は、善いものだ、と。みんな、ただ生まれた環境や、戦争や、気候変動に翻弄されているだけなんだ、って。

B: その実感は、今の価値観にもつながっていますか?

K: 私の「人をまず善意で見る」という姿勢の、いちばんの土台になっています。誰にだって親がいて、誰もが大切な人を失い、恋をして、痛みを経験している。そこに気づけたら、もっと寛容になれる。だから私は、ただ善意を放てばいいと思っているんです。人は悪いんじゃなくて、悪い経験をしてきただけ。子どもにこの「複眼的なものの見方」を渡せたら、世界のどこへ行っても生きていけると思います。

【「ここを出るしかない」----15歳での決断】

B: 6歳から15歳まではオーストラリアで過ごされたそうですね。

K: はい。キャンベラの、規律の厳しい私立の女子校に10年通いました。でも、ここでの日々は、タンザニアの楽園とは対照的でした。同質性の強い人間関係のなかで、ずっと「ここは自分の居場所じゃない」という感覚があったんです。オーストラリアには"トール・ポピー症候群"----出る杭は打たれる、目立つ人や野心的な人が引きずり下ろされる文化があって。「夢を叶えたいなら、ここを出るしかない」と感じていました。

B: そこで、15歳で単身アメリカへ。大きな決断ですね。

K: 二重国籍を活かして、かねてから思い描いていたアメリカのキャンパス・ライフに飛び込みました。でも、ただの憧れだけじゃなくて、「10年先」を考えた選択でもありました。大学から渡米しても国に馴染めないかもしれない。だったら高校から移って慣れておこう、と当時の私なりに計算したんです。自分の人生を、自分で設計する----その最初の大きな一歩でした。

【逆境を「学び」に変える力】

B: 渡米後は、決して楽な道ではなかったと伺いました。

K: 父とは5歳以降ほとんど関わりがなく、母も経済的な支援はできない状況でした。渡米した直後は、住む場所もない時期を経験したんです。14歳の頃から働き続けて、主にホスピタリティ(接客)の仕事で生活を支えながら、APクラス(大学レベルの履修コース)で勉強を続けました。
転機は、オレゴン州の給付型奨学金「Pathway Oregon Scholarship」との出会いです。困難な状況にある学生の学費を全額カバーしてくれる制度で、「州内に2年間住む」という要件が、私のそれまでの状況と奇跡みたいに噛み合った。もし留学生のままだったら、受けられなかった制度です。何も考えずに動いたのに、気づけばすべての条件が揃っていた。運命だったとしか思えません。おかげで、オレゴン大学に全額奨学金で進学できました。環境学を軸に、政治学や地理学も学んで、大学の4年間は映画そのまま。最高でした。

B: 逆境のなかでも前を向き続けられたのは、なぜでしょう?

K: 愛読書である、カリール・ジブランの『預言者(The Prophet)』の一節に、こんな言葉があるんです。「悲しみは、喜びが満たされる場所を刻む」。つらい経験があるからこそ、他の人には理解できないほどの幸福の高みを感じられる。両方があって、初めて本当の高揚を知る、と。生きるのに必要なものがあって、安全で健康なら、起きたことすべてを糧にできる。私のあふれるほどの楽観と野心は、「もう希望はない」と感じた時期があったからこそなんです。

B: 子育て中の読者へ、メッセージをお願いします。

K: 子どもを、すべての困難から守ってあげることはできません。でも、「経験を学びに変える力」なら、育ててあげられます。安心できる土台さえあれば、子どもは転んでもそれを糧にできる。だから、結果を評価するより、挑戦したこと自体を認めてあげてほしいんです。それが、これからの不確実な時代を生き抜く、いちばんの財産になりますから。

【編集後記】 タンザニア、オーストラリアアメリカ----世界そのものを教室にして育ったキラさん。多様な環境は、彼女に語学力以上のもの、すなわち「人をまず善意で見る複眼的なまなざし」を授けました。インターナショナルな環境がそのまま国際理解教育になり、逆境すらも「学び」に変えていく。その姿は、ダイバーシティを"知識"ではなく"感覚"として子どもに手渡すことの大切さを、私たちに教えてくれます。

▼次回(第2回)は、40カ国以上を旅した彼女が「なぜ日本、なぜ広島」を選んだのか。グローバル社会で本当に大切なものを見抜く目の育て方に迫ります。

【プロフィール】
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Kira Bella(キラ・ベラ) 地域活性化事業「Kirameki(煌めき)」創業者 兼 CEO。タンザニア・ダルエスサラーム生まれ、オーストラリア育ち。15歳で単身渡米し、これまでに40カ国以上を旅する。オレゴン大学で環境学を専攻、ジョンズ・ホプキンズ大学で持続可能エネルギーの修士課程を2026年5月に修了。2025年に広島県北広島町で「Kirameki」を立ち上げ、文化継承・地方創生・国際理解の分野で活動。SNSを通じて、日本の里山に息づく文化と人々の魅力を国内外へ発信している。

〈連載記事〉世界が教室だった少女が語る、ダイバーシティを"当たり前"に育てる方法

第1回|生立ち編
インターナショナルな環境で培う、これからの国際理解教育(本記事)

第2回|なぜ日本、なぜ広島編
グローバル社会で"本当に大切なもの"を見抜く目の育て方 (2026.9.17)


第3回|起業家精神編:
ジョンズ・ホプキンズ大学院修了|起業家として子ども達に伝えたい事 (2026.9.24)

       
  • 天国のような5年間、すべてはここからはじまった

  • 多文化の交差点に、居場所があった

  • 10年間の違和感が、決断になった

          
  • 転んでも、前だけ見て学び続けた

  • 全額奨学金で、夢のキャンパスライフへ

  • 一冊の本が、生き方を教えてくれた

  • インド洋に面した家で、毎日海で泳ぎ、庭には猿が訪れる——多言語が飛び交うタンザニアでの『人生最初の5年間』。人格の核が、ここでできあがった

  • 外交官の子どもたちが通うフランス系インターナショナルスクールへ。第一言語はフランス語。アジア系で、アメリカ人で、タンザニア人で——多文化の交差点で育つ

  • 6歳から15歳まで過ごしたオーストラリア。規律の厳しい女子校で10年。『ここは自分の居場所じゃない』——その違和感が、15歳の決断を後押しした

  • 15歳、単身でアメリカへ。14歳から働き続け、ホームレスを経験しながらもAPクラスで学び続けた日々

  • 奇跡のように噛み合った給付型奨学金で、オレゴン大学へ全額奨学金で進学。環境学を軸に学んだ4年間は『映画そのまま』

  • 『悲しみは、喜びが満たされる場所を刻む』——カリール・ジブランの一節を支えに。逆境を学びに変える力の源泉となった哲学