国際的な教育環境から、日本の私立高校への進学を決意するまで

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都内インターナショナルスクールから渋幕高校へ進学①

名前
浦島健太
所在地
東京都
お仕事
外資系税理士法人
URL
渋谷教育学園幕張中学校・高等学校(出身校)

インターナショナルスクール生 その後の進路(渋幕→国内大学編)

この春大学を卒業し、新社会人として外資系の税理士法人に勤務する浦島健太さん。商社勤めだった御尊父の仕事の関係で、生まれてすぐにアメリカへ渡り、コネチカット州やイリノイ州のシカゴで約3年間を過ごしました。日本に戻ってからはキンダーガーテンから中等部まで西町インターナショナルスクールに通い、高校は日本の私立校である渋谷教育学園幕張高等学校(以下、渋幕高校)に進学しています。その後現役で一橋大学に合格し、昨年の3月に経済学部を卒業しました。

アメリカでもプリスクールに通った経験があるという浦島さんは、西町の小学部時代に夏休みの1ヶ月ほど、近所にある公立の小学校に通った経験はあるものの、それ以外は渋幕高校に入学するまで日本の一条校には通ったことがなかったと言います。その浦島さんがなぜ日本の高校への進学を決意したのでしょうか?

「もともとプリスクールから西町インターナショナルスクールへ入学した背景には、せっかくアメリカに住んで英語に触れていたのだから、英語力を身につけさせたいという両親の思いがあったのではないかと思います。いわゆる従来の日本の教育を切り捨てたことは勇気がいったと思いますが、夏休みに日本の小学校に通わせたり、学習塾に通わせたりというビジョンがあったので、思い切ってインターナショナルスクールへと舵が切れたのかもしれませんね。

西町の同級生は高校もインターナショナルスクールに進学する生徒が多く、自分も漠然とそのつもりでいました。進学を控え、両親から日本の高校を薦められた時は驚きましたが、自分自身、学習塾などに通うことで日本語力の足りなさを痛感していたため、納得がいく部分もありました。両親が提案してくれた高校が、渋幕高校をはじめ英語教育に力を入れているところが多く、私と近い境遇の人もたくさんいるよと言ってくれたことで、両親が自分のことをちゃんと考えてくれていたことが伝わりました」

学習塾に通う目的を当時は充分に理解していなかったと話す浦島さんですが、無意識の部分では日本の高校・大学に進学する方向性へと向かっていたのではないかと言います。

インターナショナルスクールから日本の高校へ進学するという当時にしては特異な経歴の中で、西町や渋幕高校での高いレベルの英語教育で培われた英語力。渋幕高校の持つ、国際性とはまた違った多彩な環境の中で身についた多様性、お互いを尊重し合う自由、そして渋幕が掲げる「自調自考」の風潮で身についた自立心やコミュニケーション能力。日本人でありながら、高い英語力と確かな学力、自ら考える力を育む理想的な渋幕高校の教育が、グローバルにも活躍できる国際人としてのどのように浦島さんの人格形成や将来設計に影響を及ぼし、これからの社会でどのように活かされるのか。社会人1年目の浦島さんのエピソードを元に、連載でお伝えしていきます。

〈連載概要〉インターナショナルスクール生 その後の進路【渋幕→国内大学編】
第1回: 国際的な教育環境から、日本の私立高校への進学を決意するまで(本記事)
第2回: 日本のインターナショナルスクール教育から、渋幕高校受験へ
第3回: 念願の渋幕高校に入学。帰国生の授業内容と取り出し授業制度
第4回: 渋幕高校の学校生活と文化。思い出深い、部活・行事・短期留学
第5回: 渋幕高校の大学受験対策と主な進学先。塾いらずの先生のサポート体制
第6回: 渋幕高校で真の多様性を経験して、一橋大学でのキャンパスライフ
第7回: 一橋大学で国際経済を学んで。就職後も生きる渋幕の自調自考の精神

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  • 生後数ヶ月でアメリカへ渡り、3年間を過ごしました。現地のプリスクールに通い、幼少期から英語の環境で過ごしたことが、浦島さんの英語力の礎となり、ご両親の教育方針の指針ともなりました。写真はアメリカ時代、大好きだったマクドナルドの前で。

  • 西町に通っていた時の誕生日パーティでのワンシーン。友達とサッカーをしたりしてお祝いしました。たくさんの思い出がある西町時代の中でも、最高の思い出のひとつです。

  • 渋幕高校の学園祭の時には、クラスで縁日を出店しました。教室の飾り付けをしてゲームを作りました。クラスメイト全員で和服を着て接客し、大盛況でとても楽しかった思い出です。

  • 秋の一橋大学キャンパスは、紅葉がとても綺麗で印象に残っているそうです。広い校内を、自転車で移動する学生が多いのだとか。