"挫折しない"子育てとは?「どんなに失敗しても母は私の味方でした」

Choice

「実母がお手本」の教育方針②

名前
友利 新 / Arata Tomori
お仕事
医師 (内科・皮膚科)
URL1
友利新 公式インスタグラム
URL2
Arata Tomori公式ウェブサイト

女医でタレントで3児の母!友利新さん「実母がお手本」の教育方針とは?
母でありながらも、医師・タレントとしてもご活躍中の友利新さん。その才気あふれる生き方は、多くの女性たちの憧れです。そんな友利さんが、どんな時でも自分らしく輝く人生を歩んでこられたのは、何があっても味方になり、全力で応援してくれた実母がいたからこそ。

今回は、友利さんを育てたお母さまの教育方針や、宮古島を離れた友利さんのその後の人生に関して伺っていきます。

「母は子どもをその気にさせるのが上手い人だったんですよね。母の実兄は医師だったのですが、36歳という志半ばの若さで亡くなっています。私の父の兄も医師だったこともあり、母は3人の娘のうちの誰かには医学の道を志してもらいたいと思っていたようです。でも、私たちに『医者になりなさい』とは言いませんでした」

ただ、折に触れて、亡くなった叔父たちのことを「お医者さまってカッコいいわよね」と、娘たちに話して聞かせたそう。

「私は高校卒業後に東京の医大に進学しました。それは自分の意思で決めたことなのですが、今思えば、母がうまいことレールを敷いてくれていたのかもな、とも。ただ母から、『もっと勉強しなさい』『医学部に行きなさい』と促された記憶もありません。もしかすると、頑固な私のことですから、そんな風に言われていたら違う道を選んでいたかもしれませんね」

そうして始まった友利さんの医大生生活でしたが、すべてが順風満帆にとはいかなかったようです。

「大学に入学して最初の試験で、なんと100人中97位の成績をとってしまって。しかも、当時は大学から親元に成績表が送られるシステムになっていたので、そのことはすぐに母の耳にも入りました。当然、怒られることを覚悟していたのですが、電話をかけてきた母の第一声は、『新ちゃん、あなたは天才かもしれないわね!』だったんです」

怒るどころか「宮古島から東京に出たばかりのあなたが、最下位じゃなかったのはすごい」「一緒にお祝いできない分、仕送りを多めに送るから、好きな物を食べなさい」と言ってくれた母。その言葉を聞いた友利さんも、「次は頑張って良い成績を見せてあげたい」と思ったそうです。

その後、無事に大学を卒業した友利さんは、医師として勤務しながら「ミス日本コンテスト」にも出場。「準ミス日本」に選出されると、それをきっかけに活躍の幅を広げられます。そのバイタリティはどこからくるのでしょう?

「興味あることには何でもチャレンジする母の背中を見て育ったせいでしょうか? それに私、失敗が怖いという気持ちがあまりないんです。それは、『どんなに失敗しても、家族がいてくれる』とか『どうしてもダメなら、宮古島に戻ればいい』という思いがあるから。帰る場所があるという安心感が、私を強くしてくれているのかもしれません」

お母さまは、今でもよく友利さんに手紙を送ってくれるそうです。時に宮古島の名産品がぎっしり詰まった段ボールに添えられ届く手紙には、「ママは新ちゃんの一番の応援隊長だからね」というメッセージが。

「私は大学でも劣等生でしたし、医者としてエリート街道を走ってきたわけでもありません。プライベートでも思い通りにはいかないことの多い人生でした。けれど、どんな失敗も、それが自分にとっての挫折だとは思っていません。それはきっと、母がどんなときでも明るく前向きに私を応援し、味方になってくれたから。だから私も、母として妻として、家族の絶対的な見方でありたいなと思っているんです」

次回は、ご自身も三児の母である友利さんの子育てルールに関して伺っていきます。


〈連載概要〉女医でタレントで3児の母!友利新さん「実母がお手本」の教育方針とは?
第1回:子育て中に大学進学も!「勉強好きでポジティブな母が私の原点です」
第2回:"挫折しない"子育てとは?「どんなに失敗しても母は私の味方でした」(本記事)
第3回:「ダメと言わない」「携帯を置く」...友利新さんが大切にする子育てルール!

       
  • 医大生時代の友利さん

  • 「第36回ミス日本コンテスト」に出場

  • 大好きな宮古島の海

          
  • 伊良部島の高台からの景色

  • 沖縄本島の高校を卒業後、東京女子医科大学に進学した友利さん。「沖縄で生まれ育った当時の私にとって、東京に出ることはニューヨークへ留学するほどの一大決心でした(笑)。大学時代は、優秀な同級生たちに置いて行かれないように、必死でしたね」

  • すでに医師としたお勤めになっていた2004年に行われた「第36回ミス日本コンテスト」に出場した友利さん。「姉の勧めもあって応募したコンテストでまさかの準ミス日本に選んでいただきました。このことが私の人生の転機にもなりました」

  • 「私が生まれ育った、そして今も愛する家族や友人たちが暮らす宮古島の美しい海です。この海の風景に何度勇気づけられたかわかりません。今、私が東京で頑張れるのは、私のすべてを受け入れてくれる故郷があるからです」

  • 宮古島の北西に位置する伊良部島。その高台から海を望むお気に入りの景色だそうです。「宮古島は家族で里帰りするのにも最高の島です。子どもたちを連れて年に2~3回は帰りたいなと思っています」