海外での学校選び 子どもの生きる力を強くする真の多様性とは

Choice

日本とオーストラリアを行き来、小島慶子さんの働く母の視点

名前
小島慶子 / Keiko Kojima
お仕事
エッセイスト、タレント、東京大学大学院情報学環客員研究員、昭和女子大学現代ビジネス研究所特別研究員、NPO法人キッズドアアドバイザー
Info
取材・文/須賀美季    プロフィール写真/鈴木愛子
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Twitter: @account_kkojima
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Instagram:keiko_kojima_
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公式サイト:アップルクロス

教育移住で二拠点生活。小島慶子さんが考える、これからのリアルな子育て②】

アナウンサーを経て、現在はタレント、エッセイストとして活躍する小島慶子さん。彼女の真っすぐな子育て感や、奥深くまで掘り下げるママの視点、社会問題にまで鋭いメスを突きつけるその姿勢は、多くの子育て世代の生き方に影響を与えています。8年前に、思い切って実現したオーストラリアへの教育移住のこと、そして現在も続く二拠点生活のなかで見えてきたこと、さらにこれからの子育てにまつわる思いを聞きました。

(こちらは第2回の記事です。第1回はこちらから)

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それでは、具体的に家族でオーストラリアに移住しようとなったとき、学校選びはどのようにされたのですか。

――まず、海外でも公立の学校で育てたい、という希望がありました。なぜなら、私自身が中学からずっと私立だったんですけれど、私立の世界ってすごく狭いということを知っていたので。これは世界共通に言えることで、私学の有名校のコミュニティは、経済的に恵まれ、人脈や社会・文化資本にも恵まれている人たちが集まる狭い社会です。親に教養があって、家にはたくさん本があって、週末は美術館に行くようなことが当たり前の、ある一定の階層の人たちが子どもを下から私立に入れるという構図は、どこの国でも同じなんですね。

実はすごく世界が狭くて、全部繋がっている。私は、中高大学時代を学習院という私立に通いました。中には、親戚一同、先祖代々学習院に通い、公立学校に通っている人が身内にひとりもいないという人もいました。そういう人たちを近くで見ていて、自分が子どもを育てるときは、水平方向の限られた階層の中での人脈を広げることよりも、縦方向とか斜め方向とかに視野を広げて、世の中には自分と違う人がたくさんいるっていうことを知ってほしいと強く思っていました。だから「公立で育てよう」と決めていたんです。

オーストラリアでも公立小学校に留学したいと、コーディネートをしてくださった日本人の教育エージェントの方にお願いをしました。2013年11月の末に一家で下見に行きました。何ヶ所か見た中、たまたま1校だけちょうど非英語圏から来た子どもたち専用のコースがある学校があって、そしてたまたま6年生と3年生で空きがあったんですね。もうその場で副校長先生が名前を入れてくださって、「じゃあ2月からね!」というふうに決まりました。


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学校選びでは、お子様の意思もある程度あったのですか。

――実は子どもたちに、「学校を見に行く」とは言わずにオーストラリアに行きました(笑)。たまたま同じ年の夏休みに家族で初めてハワイに行ったんですが、その延長のような感覚で「イルカもいて、英語もしゃべれて、ビーチがきれいだから! ママの生まれ故郷に行ってみよう!」みたいな感じで誘いました。ですから当時の子ども達は「わーい、学校休めるー」みたいなノリでしたね。

彼らは「これからこっちに移住するんだ」とは思わずに行っているわけです。だけど来てみたら、オーストラリアの学校にはすぐ隣にすごく広い緑地公園があったりして、当時小学校2年だった次男はそれを見て嬉しくなっちゃって、「いいなー!」なんて言っていました。長男も後から聞いたら、副校長先生の前に連れて行かれて親が何か書類を書いているのを見た時点で「やばい、これ転校する気なんじゃないか?!」と気がついたらしいんですけれど。息子たちは友達と離れたくないとすごく悩んでいましたが、最終的には「英語を喋る知らない国に行ってみたい、面白そうだから」って言ってくれました。


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現地でコーディネーターさんを通すとなると、ある程度学区を選ばれたと思うんですけれど、公立の学校という以外に、こだわったポイントはありましたか。

――うちはオーストラリアにまったく知り合いもいないですし、夫が向こうで就職するわけでもなく、私も日本で仕事を続けるつもりだったので、場所については向こうに永住されている日本人コーディネーターの方にお任せしました。安全であること、その方と連絡の取りやすい場所がいいとリクエストしました。たまたまその方にうちの長男と同い年の息子さんがいらっしゃったことで、その方が暮らす地域で家を借りることに決めました。

シドニーとメルボルンの家賃が非常に高いものですから、パースには私のような子育て世代が多く引っ越してきていて、町がどんどん拡大してるそうです。人口200万くらいの福岡市くらいの規模です。中でも私たちの暮らす地域は、公立学校が安全でレベルが高いという人気の地域でした。

息子たちが最初に通ったのは「IEC(インテンシブ・イングリッシュ・センター)という、英語を母語としない子どもたち専用のコースがある公立小学校でした。「IEC」に通っている子ども達は全員、英語が母語ではない子達です。通常の学校の授業内容を理解するための英語力をつける学習、つまり英語「を」学ぶのではなく英語「で」学ぶための基礎的な英語力をつける勉強をして、ある程度レベルに達したら、それぞれ地元の学校に転入するというシステムなんです。息子たちはこの「IEC」のある別の学区の学校に1年ほど通って、そのあと地元の公立に転入しました。


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IEC」にはいろんな国の子どもがいるでしょうから、それもすごく良い体験になったのではないですか。

――息子たちが入った時点で、35カ国から来た子どもたちが通っていました。難民や移民としてオーストラリアに来た子もいるし、オーストラリア人が国際結婚をして、国外で子どもを育てたために子どもは英語が親ほど流暢に話せないというケースも。人種も母語も、宗教も違う子ども達が、一緒に学ぶことは刺激があったと思います。


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最初から、子ども達をご主人の元に残して、小島さんご自身は仕事で日本といったりきたりの生活だったのですか。お子さんたちも完全に理解して、その新しい生活を納得されていましたか。

――最初はまだ子どもが小さかったので3週間おきに行き来していました。日本ではレギュラー番組を全部やめて、3週間日本で働き、3週間オーストラリアに戻るというのをずっと繰り返していました。ママとの時間が足りなくならないようにと、ずっと意識していましたね。

私を乗せて空港に向かうタクシーを、息子たちが「ママー!」って泣きながら追いかけたのは最初の1回だけでしたが、辛かったですね。子ども達にどう説明したかっていうと、「この家では私がお金を稼がないとみんなは生きていけません。お金はとっても大事。だから会えなくなるのは寂しいけど、私がまた3週間日本に行ってお金を稼げば、みんな安心して暮らせるから、頑張って稼いでくるね。みんなで一緒に頑張ろうね」って言ったら、そのうち彼らも「頑張って働いてきてね」って送り出してくれるようになりました。


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東京にいたときよりも、家族で協力し生計をたてていかなくてはいけないことや、お金の大切さを知り、子ども達は「生きていくこと」についてより実感したのではないですか。

――まさに、そうですよね。夫が仕事を辞めた時点で、うちは世帯年収が激減してるわけです。彼の稼ぎがごそっとなくなったタイミングで、日本よりもはるかに所得が高く物価の高い国に移住するなんて、まともな選択じゃないですよね。でもそれは生活のレベルを落とせばいい、と考えていました。

当時日本では、渋谷区の高級マンションに住んで、休みの度に小淵沢や軽井沢の高級リゾートに泊まり、ハワイやロンドンに行けば5つ星ホテルに泊まり......というような贅沢な暮らしをしていました。でも、もうそれは十分経験したから、そうじゃない堅実な暮らしをすればいい、生活そのものを見直せばいけるよねっていうのが念頭にありました。

むしろ、そうしなくちゃいけない、と思わせられる出来事もあって......。あるとき、小淵沢に乗馬に通っていた時期があったんです。いつもはサービスの行き届いたリゾートホテルに泊まるんですが、たまには違う所に泊まってみようか、ということになって、道の駅と一体化しているリーズナブルな宿舎に泊まってみたんです。とても清潔でいい宿だったんですが、宿舎のフロントで受付を済ませたときに、長男が「あれ?お荷物運んでくれる人いないのー?」って言ったんです。「やばい!絵に書いたような馬鹿息子になってる!」と思いました(笑)。そのとき、「あれは特別なホテルで、普通は荷物は自分で持っていくんだよ!」と言いながら、ああ、このままこういうのが当たり前で育っていくと、生きる力が弱くなると実感したんです。息子達は生まれてから、裕福で恵まれた暮らしをもう十分体験したと。オーストラリアに行ってからは、ごく普通の庶民的な暮らしになって本当に良かったと思うんです。彼らは今19歳と17歳になりましたが、「こっちに引っ越して、自分たちがだいぶいい暮らしをしてたってわかった。当たり前だと思っていたけど、日本では恵まれていたんだね」と言っています。

パースには資源ビジネスなどで富を築いた人も多く住んでいます。美術館みたいな家に住んで、親は高級スポーツカーに乗って。誕生日会に呼ばれれば、家の中にも外にもプールがあったとか。もちろん一方では、授業で使うPCを購入するお金が工面できず、学校から借りる子もいます。経済状況一つとっても、世の中には桁違いのお金持ちから暮らしに困っている人まで、いろいろな人がいると知ることができたのは、息子たちにとってよかったと思っています。

(小島慶子さんのインタビューは、第3回に続きます)


〈連載概要〉
教育移住で二拠点生活。小島慶子さんが考える、これからのリアルな子育て
第1回:家族と離れて二拠点生活 子どもを伸ばす教育のあり方を模索して
第2回:海外での学校選び 子どもの生きる力を強くする真の多様性とは(本記事)
第3回:日本の教育と現代社会の不安をぬぐうため 親に必要な心構え

       
  • 幼少期

  • 大学時代

  • パースにて

          
  • 生まれてから幼少期を過ごしたパース。オーストラリアに暮らしていても、ひな祭りをお祝いしました。

  • まだアナウンサーになる前。怖いものなしだった大学時代。

  • まだ小さかった息子達と。私が生まれ育ったパースが、ふたたび子育ての場所になりました。