子どもの個性と気持ちを尊重した、海外留学させるタイミングと理由

Choice

家族の幸せの前に自分の幸せを。個性溢れるパッチワーク家族

名前
大草 直子 / Naoko Okusa
家族
5人(夫、22歳と12歳の女の子、17歳の男の子)
所在地
東京都
お仕事
スタイリスト、『AMARC』主催
URL
AMARC

大草直子さん、海外留学を通じて生まれた家族の新しいかたち②】

ファッションエディターであり、スタイリスト。大草直子さんは、自分らしさを投影したオンラインメディア『AMARC』を立ち上げ、自身が選ぶものやオリジナルな生き方を発信し続け、いま多くの女性に影響を与えています。さまざまな分野で活躍を続ける彼女は、3人の子どもを育てるママとしての顔も持ち合わせています。家族は、大学4年生のヒナコさん、高校2年生のリオくん、小学6年生のマヤちゃん、そしてニューヨーク生まれでベネズエラ育ちという夫、チャーリーさんの5人。今年、大草さん家族は子どもたちの海外留学を機に、日本とイギリス、そしてアメリカという3拠点に離れての生活が始まりました。いつの時代も最先端を歩くような、大草さんの新しい生き方を探ります。


(こちらは、第2回の記事です。第1回はこちらから。)

Bright Choice
いちばん下のお嬢さんはまだ小学6年生ということですが、お父さんが一緒とは言え、お母さんから離れての留学は彼女にとって大変な決断だったのではないですか。

――下の娘に関しては、本当にどうなることかと思いました。旅立った後、2回ぐらい泣いて電話かかってきたんです。そのうちの1回は、とにかく男所帯になっちゃったので、それがもうしんどくて不安でもう無理、みたいな内容でした。

留学についていえば、当初から息子の希望が強かったから、彼は高2から行こうということで、手続きがとんとん拍子に進みました。その時に、下の娘も一緒にどうだろう? と家族で話し合いになりましたが、本人は当初「絶対にヤダ!」と言っていましたね。本人の性格を良く知る側としてみれば、首に縄をつけて引っ張っていくことはできないけれど、トライしてみると意外といいかもって思えるタイプだとわかっていたんです。

当初はハワイとサンディエゴで迷っていたのですが、最終的にサンディエゴにしたのは、ハワイにいた私の妹が家族でサンディエゴに越したから。下の娘も、その叔母のことが大好きなので、「叔母さんがいるなら、ちょっとだけ行ってみようかなって」ってことになりました。彼女に関しては、ハードルが低い状態でやってみて、駄目ならすぐに帰ってくればいいじゃないっていうスタート。それはいまでも、彼女に言っていることです。


Bright Choice
下の娘さんにも、留学に行ってほしいと思った理由はなんですか。

――いろいろあるのですが、いちばんは、娘が日本とアメリカの国籍を持ち"Wアイデンティティ"であることが挙げられると思います。自分のルーツの半分はアメリカにあって、言語というアイデンティティも含め、いろいろ試す価値があると思ったからです。あとは正直言うと、日本の社会だと生きづらそうなところを感じていたからです。生きていく場所って日本だけじゃなくていっぱいあるんだよっていうことを、伝えたかったのもありますね。

ただ、私がとても悩んだのは、末っ子である娘とは、一緒にいてあげられる時間がとても少なかったこと。私はもちろん、仕事で忙しく働いていたわけなのですが。彼女にとっては、私と一緒にいる時間が圧倒的に少なかったかもしれないと、後になって悩んだことでもあります。


Bright Choice
留学を決断した下の娘さんのアメリカでの様子はいかがですか? 向こうでやりたいことなどは、見つかりましたか。

――次女は、現地のパブリックスクールに英語がほとんど喋れない状態で入学しました。最初は意思疎通がうまく図れなくて、宿題も提出できなかったようで、学校の評価もDとかだったのですが、自分でそれを知って「これは嫌だ」と一念発起して、「Aになった!」と聞きました。異国の地でわからないながらも、「これはやらなきゃいけない!」っていうふうに考えられたことが、私はもう達成かなって思うんですよね。成績がAとかDとか、そんなこと本当にどっちでも良くて。

あと、ダンスが好きなので、プライベートのダンスのクラスを週5で受けていて、それがすごく彼女に合っていたようです。日本でも、バレエをやってみたら? と勧めていたのですが、彼女は「あんなふうに同じ格好して、同じ踊りをしなきゃいけないのは絶対にやだ」と、頑なにやらなかったんです。きっちりカリキュラムが決められて、先生の振り付けをコピーするみたいに踊るのがすごく嫌だったみたいで。アメリカで習ったのはコンテンポラリーなので、全部自分たちでできることがすごく楽しいようです。絶対にやらないと言っていたバレエもレッスンに入っているようで、「やってみようかな」という気持ちが湧いてきたようです。日本では、柔軟性が本当になかった子だから、色々チャレンジできているいまの状態はすごく進歩だと思っています。そして、ある意味私の呪縛や影響みたいなことから離れられたのも良かったなと思います。


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留学という決断も、現地に大草さんの実の妹さんがいたことや、旦那さんが同行されるなどのサポートがやっぱり心強いですね。学区などは、どのように決めていったのですか。

――長女に関しては、ロンドンかニューヨークという選択肢がありました。彼女の中で、アートをやりたということで目標が決まっていので、留学までの道のりにも私は一切かかわらず、自分で全部決めていきました。

息子と次女に関しては、夫が同行してくれるというのは本当に心強いです。そして次女にとっては、同性である私の妹がそばにいてくれるというのも大きいはずです。留学先のサンディエゴは、自然と都市のバランスがすごくいい場所で、実は夫はサンディエゴ大学を出ていて地の利があるというのも、最終的にサンディエゴに決めた理由ですね。学区に関しては、いまはすべての学校のレビューが見られるので、私の妹がたくさんリサーチをしてくれて、彼女にもいろいろ聞きながら進めていった感じです。


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子どもたちと離れて暮らしていると、精神的に繋がっていられるか不安ではないですか。普段、家族とはどのようにコミュニケーションを取られているのですか。

――子どもたちとは、必要なとき、思いついたときにLINEする程度です。SNSでも特に繋がっていないし、見てもいません。いまはこうやって世界中オンラインで瞬時に繋がることができるけれど、昔は留学すれば、親との電話もコレクトコールでかけていましたよね。留学中の一時期くらい、親と離れてみるっていうのもある意味大事なのかなと思っています。私は、リアルに一緒にいることをカバーする必要がないと考えています。むしろ、時間的・距離的に離れている、そのことの大事さを実感したいんです。逆を返すと、一緒にいることの大事さみたいなことを、このタイミングで再認識することが大事かなと思うから。こちらからは、逐一何があった? などとは聞かないし、成績表出して! なんかも、もちろん言いません。

(大草直子さんのインタビューは、第3回に続きます。)


〈連載概要〉
大草直子さん、海外留学を通じて生まれた家族の新しいかたち

第1回:海外留学への心構えと、3人の子どもたちとの距離感のこと
第2回:子どもの個性と気持ちを尊重した、海外留学させるタイミングと理由(本記事)
第3回:大草家の三拠点生活。離れていても、家族は繋がっているということ

       
  • 夏休み

  • 家族の時間

  • アメリカの長い夏休みには帰国して、日本を楽しみました。次女は、祖母と過ごす時間が大好き。

  • 違う国に暮らし離れているからこそ、家族が一緒に集う時間をみんなが大事にするようになりました。