育児も仕事も諦めない!保育園留学事業はじまりのストーリー

子どもが主役の移住体験が叶う国内保育園留学。
- 名前
- 山本雅也さん
- 家族
- 5歳の娘と3人家族
- お仕事
- キッチハイク代表取締役CEO
- Info
- 取材・文/秋山藍乃
- URL1
- 保育園留学ホームページ
- URL2
- 山本雅也 | 保育園留学|note
【自然と遊び、生きる力を育む。子どもが主役の移住体験が叶う国内保育園留学】
連載第1回: 育児も仕事も諦めない!保育園留学事業はじまりのストーリー
ブライトチョイスでは、幼少期に子どもが夢中になれるような体験をたくさんさせてあげることが、子どもの「自分らしく生きる力」を育むと考えます。自然体験もその1つ。しかしながら、都会で生活していると、自然の豊かな地域で子どもにのびのびと遊ぶ体験をさせてあげたいと願っても、実現するのが難しいというのが現実です。
そんな都会の子育てファミリーの悩みに寄り添う『保育園留学』という1~2 週間の暮らし体験をご存じですか?2021年11月の事業スタート時からこれまで1500組以上の親子が保育園留学を経験し、今も希望者が後を絶たないといいます。
今回は、保育園留学事業を主宰する、地方創生スタートアップ企業「キッチハイク」代表取締役CEOの山本雅也さんにお話を伺いました。当時2歳のお嬢さんとの保育園留学をきっかけに、北海道の小さな町に移住することを決意した山本さん。その子育て観、人生観や、保育園留学事業が描く未来のビジョンには、子育てを謳歌するためのヒントが詰まっていました。
―山本さんが、2歳の娘さんと共に保育園留学をしたきっかけを聞かせてください。
「2021年、世はコロナ禍真っ盛り。僕たち家族は横浜駅の近くに住んでいて、2歳の娘はみなとみらいのとある保育園に通っていました。保育園は、商業ビルやタワーマンションが立ち並ぶ、その狭間の一角にありました。もちろん広い園庭などなく、子どもたちは排気ガスの中コンクリートの上を歩いてお散歩に出かけます。その様子を見て、『娘はどんどん成長していくのに、こんな環境で良いのだろうか』というモヤモヤは膨らみ、『もっと色んな経験をさせて、色んな景色を見せてあげたい』という想いが高まっていました。そんなある時、たまたまキッチハイク社の事業で所縁のあった北海道厚沢部町の保育園はどんなところだろうと調べてみたところ、『はぜる』という認定こども園に出会ったのです」
―北海道厚沢部町は「世界一素敵な過疎のまち」を謡う人口3,500人程の小さな町。「はぜる」のホームページを開いた瞬間目に飛び込んできた、森に囲まれた丘の上に建つ美しい園舎。思わず「ここに娘を通わせたい!」とひとめぼれしたといいます。そこからの展開は、まさに電光石火の勢いだったそうで......。
「厚沢部町の役所に問い合わせたところ、過去に事例はないけれど特別に調整をしてくださることになり、2021年7月に家族で厚沢部町を訪れました。保育園留学第0号家族です。3週間滞在したのですが、すっかり『はぜる』とそこに携わる人々の虜になってしまいました。ダイナミックな自然や広い園庭、園舎ももちろん素晴らしかったのですが、何より感動したのは保育士の先生方の子どもとの向き合い方です。先生方は、娘の好きなことに正面からとことん向き合い、主体性と創造性を引き出す工夫をしてくれました。保育士として、自分たちが地域の子どもたちの保育を担っていくんだという気概と情熱を感じましたね。この素晴らしい体験をもっと広めたいと、滞在期間中に厚沢部町の自治体職員の方や園の先生方と町の未来や子どもたちの未来についてお互いの想いを語り合い、「保育園留学」という事業が誕生することになりました。そして、自身も翌年の春には家族で移住することを決意し、晴れて厚沢部町民になりました」
―我が子をどう育てたらよいかを考えるとき、誰しもつい自分自身の成功体験になぞらえようとしてしまいがちです。未知のエリアで子育てをすることを選択するのは、とても勇気がいること。なぜ山本さんファミリーは、思い切って一家で北海道に移住をし、子育てをするという方向に舵を切ることができたのでしょうか。
「それを語る上で欠かせないのは、うちの奥さんの存在です。奥さんと僕に共通する人生の向き合い方は、『広い世界を見に行こう』、『今いるコミュニティを飛び出し、新たなコミュニティに飛び込もう』というもの。僕たちは、今ある選択肢の外に選択肢を見出し、それを即実行することに慣れています。だから、2人で話しているとどんどん新しいアイディアが生まれてくるんです。娘に豊かな人生を送らせてあげるために何ができるかと考えた時に、厚沢部町移住という選択肢を思いつき、『誰もやっている人いないけど絶対いいよね!』と実行に移すのはごく自然な流れでした。僕たちも、娘には良い大学に行ってほしいと思っていますよ。だけど、そこに辿り着くまでに描く道のりが人とは少し違うかもしれません。今の娘にとっては厚沢部町での生活がベストだと思っていますが、娘の成長に応じてその都度『今娘にとって大切なことは何だろう』と考え、行動していきたいと思っています」
―都会での生活から過疎地域での新たな生活へと、ライフスタイルはガラッと変わります。移住によって、失うものへの不安はなかったのでしょうか。
「失うものへの不安は、正直全くありませんでした。むしろ得るものしかなかったですね。『何かを得るために、何かを捨てなければならない』と思っている以上、優れたアイディアって出てこないと思うんですよ。僕は、キッチハイクのメンバーにもいつも『何も諦める必要はない。いかに矛盾を両立させるかが大切』と話しています。その考えは、キッチハイクの企業理念にも通じています。だから、保育園留学は、共働きの親にとっても、遊びざかりの子どもにとっても、過疎化が進む受け入れ地域にとっても、あらゆる課題をまるっと解決する事業であることを目指しています」
―何も諦めない。全部取りするためにアイディアを振り絞る。そのマインドが培われるまでには、どんな原体験があったのでしょうか。
「もともと、人がやっていないことをやるとテンションが上がるタイプでした。博報堂に勤めながらマガジンハウスでバイトしたり、キッチハイク創業時には世界中の人の家のご飯を食べ歩いたり、ワクワクすることを躊躇せずにやってきました。好奇心の赴くままにやってみたら実際面白かったという経験が、僕の人生の中にはとても多かったんですね。だから、保育園留学も移住も、絶対いけると思っていました」
こうして生まれた保育園留学事業。第2回では、保育園留学の魅力的な留学先や経験者のリアルな声にフォーカスします。
【自然と遊び、生きる力を育む。子どもが主役の移住体験が叶う国内保育園留学】
第1回: 育児も仕事も諦めない!保育園留学事業はじまりのストーリー(本記事)
第2回: 自然が遊び場!大人も子どもも世界が広がる、保育園留学での感動体験
第3回: 保育園留学が見つめる未来。無限の可能性を持つ子どもたちのために