初めての海外移住から始まった初めての子育て|ドバイからポルトガルへ
モデル小泉里子が綴る、ポルトガルでの家族時間
- 名前
- 小泉里子/Satoko Koizumi
- 家族
- 3人(夫、3歳の男の子)
- 所在地
- ポルトガル
- お仕事
- モデル
- URL
- 小泉里子/Satoko Koizumi
- URL1
- SATOKO KOIZUMI 小泉里子
【モデル小泉里子が綴る、ポルトガルでの家族時間】
初めまして、モデルの小泉里子です。
初めての子育てが初めての海外移住で、悪戦苦闘しながらも夫と息子3人で楽しく愉快に暮らす日々をお送りしたいと思います。
文章を書くのと締め切りが苦手な私ですが、思い切ってその二つとも向き合ってみることにしました。笑
どうぞよろしくお願いします。
さて、ざっと自己紹介をすると、2020年コロナ流行前まで雑誌を中心に仕事をしていましたが、コロナ禍のタイミングで妊娠、産休に入り、2021年出産と同時にドバイへ移住。
2年半のドバイ生活後、移住先をポルトガルに移し、現在移り住んで半年が経ったところです。
2020年に再婚した夫と3歳の息子、たまに登場するであろう夫と前妻との間の3人の子どもたちと共にリアルな海外子育て生活をお届けしようと思います。
基本は3人生活ですが、学校が休みになるとスペインにいる2人の息子と日本にいる娘も遊びに来て、一気に6人家族、わちゃわちゃと賑やかになる我が家です。
と言っても、3人の子どもたちは、上から21歳、19歳、17歳と大きいので、もう手はかからず、なんだったら息子が生まれてからは来てくれると楽だし願わくばずっといてほしいほど。特に一番上の長男には驚くほどの懐きぶりで、まるで長男の息子のよう。私たちは祖父母にでもなったかのような気分になりますよ。笑
先日は、ポルトガルに集合して、短かったけど6人での夏休みを過ごしました。
さーて、まさか自分が海外で生活するなんて、1ミリも想像してなかった上に海外での子育てなんて青天の霹靂すぎて...でも気づけば2カ国目。
息子が生後3ヶ月の時にドバイへ移住。当時は生まれたばかりの息子を連れて行くことに不安もあったけど、まだ歩きもせずほぼ寝てるだけの息子は、今に比べたらいないも同然。まだ私たち夫婦の意思で動けたから、今思えば良い時期だったなと思います。
移住と同時に保育園を探さなきゃいけないわけでもなく、重要だったのは良い肌触りのオムツとおしり拭き。何かあった時にすぐ行ける病院でした。幸い息子は病気もせず、すくすくと育ってくれてるので、病院に行ったのは、移住したての時の一度だけ、健診で身体測定をしただけでした。
初の子育て、徐々に成長する息子に必要な環境も変化していく中で、私も少なからず情報を集めながら子育てをしてきました。交友関係はなくても大丈夫な私ですが、さすがに知らない土地で初めての子育ては不安もあり、積極的にお友だちを作らなきゃと思っていたら、たまたま共通の知り合いがいる方と出会って、しかも息子同士も年が近いというラッキーな出会いがあり、その出会いにいろいろ助けられました。
ただ知り合って間もなくその家族は日本への本帰国が決まり、ドバイで一緒に過ごせたのはほんのわずか。でもそんな短い期間でも縁は続いていて、今でも情報交換はしてます。
結果ドバイでの子育ては2年半でした。
ナーサリーに通い始めたのが2歳なので、半年間の登園も経験できました。
通っていたナーサリーはモンテッソーリ教育を軸に、2歳とはいえかなり手厚い内容。英語とアラビア語に加えフランス語も必須で、さらには保護者から他の言語も学びたいという案があったり、プログラミングの授業があったり、after schoolでは、テニス、サッカー、ダンスなど、それぞれ専門のコーチが来て指導してくれたりと、いやいやまだ2歳だしと思ってたけど、2歳児の吸収力に驚く毎日でした。
設備や環境、教育カリキュラムなど、私が求めてた以上のもので、ま~そりゃ~お値段もそこそこしますが、とても良い環境に巡り会えたな思いました。
ドバイでの子育てでもうひとつ良かった点は、誰もが子どもにフレンドリーなこと。これは本当にビックリするくらいな出来事がいっぱいありました。
私の勝手なイメージだけど、日本での子育てって、どこか世の中に気を遣っていなきゃいけないというか、公共交通機関ではうるさくしないように、レストランでもお行儀よくいなきゃとか、あとべビーカー問題もね。なんとなく肩身が狭く感じちゃうかなって。そんなイメージだった私に、ドバイは真逆の環境を与えてくれました。
生後数ヶ月の息子を連れて電車に乗ると、とっさに席を譲ってくれる方が5名。レストランで息子がぐずりだすと笑わせようと近寄ってくる店員さん3名。役所に行くと手続き待ちの長蛇の列をすっ飛ばして一番前に並べという受付のおじ様。高級レストランで子どもも入れますか?と聞くと、なぜそんなことを聞くの?という顔で「もちろん!」と、ほとんどのレストランで返答される。
息子と遊んでいると、シッターを紹介するわよと毎度言われる昼間の公園。(子どもを連れてくるのは皆シッターさん。)
と、まーそんな感じで、とにかく優遇されてるなと思う場面が毎日の生活の中でたくさんありました。
ドバイは居住者の9割が他国からの移住者ですが、皆揃って子どもへの優しさは一緒でした。宗教の教えも強いかもしれないけど、子どもと女性には本当に優しい、子育てがしやすい環境で、そんなこととは知らずに生まれたての息子を連れて行った私の不安は早々にかき消されました。
言い出したらキリがない程、子どもフレンドリーエピソードは果てしないです。そんなドバイ生活を経て、ポルトガル移住への準備を進めるために一旦日本に帰ったんですが、思いの外、時間がかかってしまったので、日本の幼稚園にも通わせてみました。
満3歳から入園できる幼稚園で3ヶ月ほどの登園だったけど、日本の環境で子育てが出来たのは良かったです。
日本はやっぱり規律を大切にしてるなと思いました。
ドバイのナーサリーで持ち物や時間など、ゆる~い感じに慣れてた私には、背筋がピンとなったというか、そもそもそんな感じも好きだから、「だよね、だよね、これだよね」って感じ。
まず、ビックリしたのは、準備するアイテムの多さ。
そして、そのすべてに名前を記入し、さらには組名の記載も。
持ち物の説明を見ても訳わからないところもあって、だいぶ手こずったけど、その分、息子を送り出した初登園の日は誇らしかった!と自画自賛。こうして大変な思いをして子育てするのが、日本だなと思っちゃった。でも私は嫌いじゃない。
息子もドバイのナーサリーの時は、先生が言ってることは理解してるとは言われたんだけど、積極的に英語で話そうとはしてなかったように思うけど、日本の幼稚園では言葉の壁がなく、友だちと大きな声を出して遊んだりして、なんのストレスもなく過ごせたように思います。
海外にいると、「日本」という国が今までと違った角度で、日本に住んでると当たり前すぎて、気づきもしない事が見えてきたり、感じたりしますよね。
まず、日本語という難しい言語。これを無意識のうちから話せるようにならないと困ると思いました。だから息子には日本語を第一言語として学ばせたいです。
何かと英語力って耳にするけど、もちろんその大切さも分かります。私も実際海外生活で苦労してるし。笑
でも英語以上に難しく、大人になってから学ぶには苦労するだろうと思うのが日本語。ひらがな、カタカナ、漢字。さらには同じ意味なのに無限にある言い回し。日本語は本当に美しく素晴らしいものだと海外に来たからこそ思うのです。
そして今、ようやくポルトガルでの幼稚園がスタートしたところ。
インターナショナルスクールスクールなので基本は英語だけど、必須でポルトガル語の時間もあります。なので日本語は家で一緒に。
こんなに同時にいろんな言語を聞かせてインプット出来るのかなと思いますが、ポルトガルに来てからそれぞれの区別が出来るようになってきました。日本語では「ありがとう」、英語では「Thank you」、ポルトガル語では「Obrigado」なんだよって教えてくれました。他にも「Tidy up」は片付けって意味なんだよ!とか、「More」はもっと欲しい時だよとか、英語と日本語の意味を擦り合わせながら覚えて行くタイプなんだなと思いました。
この前、一緒の幼稚園に通う仲良しの日本人の女の子と遊んでたんだけど、会話は英語でした。家では、あまり発しない単語や相槌など、まさに外国人の子どものよう。
きっと幼稚園では、こんな風にみんなと意思疎通してるんだな~、と垣間見られた瞬間。家の中では私たちが日本語だから親には日本語、友だちや先生には英語と、彼の中で自然と使い分けをしてるんですね。
でも今の環境だと、圧倒的に英語時間の方が長いから、数年したら英語の方が優先的になってしまうのかなって思うと、日本語をどうやって学んでいくのかっていうのが今の私たち夫婦の議題。
大切にしたい日本語。。
海外子育てあるあるな悩みに、まさに直面している我が家です。
さて、放っておくといつまでもダラダラと話してしまいそうなので、突如となく締めに入りますが。
私たち家族の移住2カ国目となるポルトガル子育て生活。幼稚園もスタートして今まで以上にトピックスが増えるだろうし、移住して半年。もう死ぬまでこの国にいてもいいかもと思えるポルトガル生活の魅力もお伝えしていこうと思います。
では、また次回。
〈小泉里子さん連載〉
モデル小泉里子が綴る、ポルトガルでの家族時間