「子育て」と「キレイ」の両立。バランスを取って、心地良い地点を見つけて

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エッセイスト久住あゆみが綴る、年子男子の子育て日記

名前
久住あゆみ / Ayumi Kusumi
家族
4人家族(夫、7歳と6歳の男の子)とミニチュアダックスのココ
所在地
東京都
お仕事
エッセイスト、元モデル(お休み中)
URL
久住 あゆみ / Ayumi Kusumi インスタグラム
URL1
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エッセイスト久住あゆみが綴る、年子男子の子育て日記

子育て」と「キレイ」の両立。

なんだかママ向け雑誌の特集に
見つけられそうなフレーズです。

子どもを持つまでは
「ママでもキレイ」ということって
テーマになるくらい大きなこと? 大変なこと?
と少し不思議に思っていました。

だって街を歩けば小さな子どもの手を引く
美しいママさんたちがたくさん目に入ってきたから.......。それは特別なことじゃないのかと。

が......! 出産後、その考えは一変することに。


子育て」と「キレイ」の両立は
こんなにも矛盾をはらんだ難問だったなんて......!


振り返ると独身の頃は、
すべてが自分の時間でした。

休日には美容院やネイルサロンなどをはしごする「メンテナンスデー」と称して、たっぷりと美容に時間をかけたことも。(この言葉懐かしい......)

それが第一子出産後、一夜にして状況は一変。

まず、その日から
不眠不休の慣れない子育てがスタート!
自分時間の捻出がとたんに難しくなる。


合間の隙間時間?
そんな時間はあってないようなもの。
体力温存のためにとにかく体を休めたい。

オシャレして出かける気持ちも余裕も一旦ゼロに......。


腕の中にはかわいい我が子。
泣いたり笑ったり眠ったりする
その姿に見惚れたり、翻弄されたりと
一喜一憂しているうちに1日、1カ月、1年......と
どんどん時間は経過する。

毎日毎日同じようなことの繰り返しで
ついには時間感覚もなくなるような日々。

「今は永遠に感じられるようなこの時期も
後から振り返ると貴重な蜜月なんだろうな」
と思うとグッとこの時間が愛おしくなったり、そうかと思えば「あぁ......早く大きくなって......!」と反対のことを願ったり。

そんな日々での家での
私のスタイルはこんな感じでした。

ボサボサ頭でノーメイク。
服は朝から部屋着のまま。
着替えようか? でも、もう夕方でどこにも行かないし誰とも会わないしまぁいいか...。

今は仕方ない!そう納得させながらも
以前とは遠いところに来てしまったような
自分を見て「はて? このままでいいのだろうか。やっぱりもう少しなんとかした方がいいのかもしれない......」と焦りを感じたり。


子育て中、特に子どもが小さい内は
通常、自分のことにまで手が回らなくなります。

もう、いっそのこと色々と諦めてしまったら
楽なのかも。と思ったことも。
それはそれで気持ちも楽になるんじゃないかと。

どんな風になっても子どもたちはきっと
変わらずわたしを愛してくれるし、それで充分、と。


ここでひとつ、思い出すエピソード。


第二子出産後、
数ヶ月、実家に帰省していました。

年子育児がスタートし、
一人でも大変なところ
一気にあかちゃんがふたりに......!
実家家族からの多大なサポートを受けながらも
0歳&1歳の年子の子育て
常に寝不足で体力も極限状態。

毎日数時間かかってようやくふたりを寝かしつけてからそのまま眠ればいいものの...
私は這うように鏡に向かい、入念に必死のスキンケアをするわたしに母が放った言葉。


「もうそんなことはやめて、とにかく体を休めなさい! 今のボロボロの姿も母親として一生懸命頑張っている美しい姿なのよ」


その頃は始まったばかりの
年子育児のあまりの過酷さに
母になった喜びなんていうものが
一体なんなのか、わからなくなるほど
余裕がなく、疲れ、やつれていた時期でした。

日に日に
クマは濃くなり、
頬がこけて、体は痩せ細る。

かつての自分自身が、
どんどん遠のいていくのを感じて......。

そんな焦りからか
化粧品をやみくもに揃えて
自分のケアに必死になる私の姿は
母から見ると痛ましく映ったのでしょう。

母は優しさから私の体を心配し、
「今はボロボロでも美しい」
この言葉をかけてくれました。

自分でも薄々後ろめたさのようなものがあったのか
胸にグサッときた言葉でもありました。

ふたりの子どもを産み、まだ彼らはあかちゃん。
100%の愛情とお世話が必要なとき。

そんな時でも自分のキレイを諦められないのは
もしかするとすごく強欲で、
わがままなことなんじゃないかと...。


その一件で少し考えが変わった私は
しばらく自分にまつわる「キレイ」を
放棄してみることに。

言葉の通り髪を振り乱し、育児だけに専念。

最初のうちは、これはこれで
ひとつの正しいあり方だと感じました。

「子どもに自分のすべてを捧げる」
なんて、なんだか母としての迷いがなくなったようで潔くなったな!と感じられたり。


でも...この状態がしばらく続いていくと
だんだんと心と体に違和感が芽生えてきて...。

 
まず、生活の多岐にわたり、意識が低くなる。

動作がなんとなく、ガサツになったり、
ジャンクなものが食べたくなったり、 
ワークアウトをする気も起きない。
結果、振る舞いもどんどんゆるんでいく。


私の場合「キレイ」を意識上から放棄すると
明らかに生活にメリハリがなくなるということに気が付いた経験でした。


「キレイ」というものは積み上げるのは
根気と時間がかかるけど
手放すと坂を転がり落ちるのは一瞬なのだと、痛感。


この「キレイの放棄期間」を過ごすことで
果たして楽になったか...?


Yes. ある意味で。


では、しあわせになった?


No.


そこで身をもってわかったこと。

キレイでいたい。おしゃれをしたい。
というのは誰かのためでない、自分自身の心のハリの部分を支えるものなのだ、と。

女性は少なからず、自分を心身ともに
美しいと感じられたときに
余裕と自信が持てるものだと。

ただ、その美しさとは
「自分が思う自分のベスト」でいい。
他の誰かと比べた美しさではない。

ボロボロの時に今はこれも仕方ない、とそのまま放っておくこともひとつの選択肢なら
ボロボロなりにできるベストを探ってみるという方法も選べる。


もちろん、子どもにすべてを注いでいる、
そんなお母さんたちの中には
自身の育児スタイルに心から幸せと
喜びを見出せる人だっている。

一方で、私のように自分のケアもすることで
それに付随して心に余裕が生まれ、
結果、子育てがうまくいくタイプの人もいる。

どちらが母として正解、えらい、という話ではなく、自分にとって=家族にとっての
平和と幸せがどちらか見極めることが大切。


子どもたちと泥んこになりながら
笑顔で遊ぶママを見たとき、
やっぱり、「美しい」と思う。
子どもにまっすぐ向けられる心と姿勢に。
その、あたたかな眼差しに。
母が言ってた「キレイ」はこういうことか、と。


そして、一方で
街でおしゃれをしてキレイにしている
ママたちを見てもワクワクし、励まされる。
彼女たちは育児をしながらキレイでありたいという難題に挑戦している戦士だ!と。
    

その過酷な舞台裏を思い、
すれ違う時、心の中でハイタッチをしている。


育児をしながら
女性としてもキレイありたいと思い続け
努力することは、ときにしんどいこと。


でも、キレイでいることを諦めたとしても
それはそれでまた違うしんどさがあることを
知ってしまった今、
どちらもしんどいのだったら
頑張る方が得じゃない?と思うように。

疲れすぎてモチベーションを保てない時だってある。
それでなくても母になると大切なものが変わって、キレイであることは二の次。三の次に。


ただそんな時もすべてを投げ出してあきらめるのではなく、
一旦、期間限定でキレイを休止してみる。
自分に優しく、その時できるベストで100点をあげてみる。


そこで気の済むまでひと休みしたら、
再び、立ち上がる。


「育児」と「キレイ」の両立については


頑張って、頑張って、ひとやすみ
頑張って、頑張って、ひとやすみ


その繰り返し。
そんな感じでいいのかなって。


公園帰り、息子たちを
追いかけてぬかるみで滑ってこけて泥がついた。

新しく下ろした靴と
真っ白なリネンのパンツが泣いている。

わかっています...。

子連れで公園。にそんなものを
選んで着ていく私が悪いことは。


でも着る。で、こうなる。

かれこれ8年間これの繰り返し。

学びつつ、一方で貫こうとも思っている。

だって子連れじゃない時に着よう、履こうなんて思っていたら
わたしは、いつ使うのだろう...?


大事にとっておいたら
そのうちに心の旬も過ぎてしまう。


使わないままキレイより
汚れても使った方がいいよね...?
と言い聞かせて。


子どもたちがあかちゃんだったころ、
かつての敵は寝不足でした。

ステージが変わり、敵は変わって
今は砂に、泥に、日焼け。

外で大はしゃぎするふたりに向かって
こわ〜い声と顔で注意をしている自分。

疲れが抜けなくてクマが消えない朝だってしょっちゅう。


でも子どもたちは「ママ、キレイだね」と今日も笑顔を向けてくれる。


そんな時、
「はて、キレイとはなんぞや?」と
もう一人の自分が、問いかけてくる。


子育てとキレイの両立。
これからも課題は多そうです。


私と同じように
子育て」と「キレイ」の両立に揺れながら、
前に進む同士で戦友のみなさま。


これからも無理をせず、でも諦めずにコツコツと、抗っていきましょう...! オーッ!


すれ違ったら心でハイタッチ!
よろしくお願いします。


<久住あゆみさん連載>
エッセイスト久住あゆみが綴る、年子男子の子育て日記

       
  • 抱っこしながら身支度の時代

  • 海外旅行は夫婦で役割分担

  • 息抜きは子連れのヨガレッスン

          
  • 次男が歩き始めた頃のお散歩は…

  • 「ボロボロでもそれがキレイ」と母に言われた頃

  • もう料理ができるまでに成長!

  • 次男が0歳の時。抱っこ紐で抱っこして、左右にゆらゆらと揺らしながらヘアスタイリングをしているところ。

  • 長男2歳、次男1歳の時に家族で海外旅行へ。空港で夫は搭乗手続きなどを行い、私は片手でベビーカーに乗った長男、もう片方の手で抱っこした次男の相手をしていました。

  • 子どもがまだまだ小さかった頃の息抜きは、近所でのヨガレッスン。とはいえ子どもも連れて行っていたので、自由なひとり時間という訳にはいきませんでしたが……。

  • 次男がヨチヨチ歩きを始めた頃の散歩風景。3人でしっかりと手を繋いでいますが、10歩くらい進むごとにコテンと脚が地面についてしまっていました。

  • 記事の中で「今はボロボロでもそれがキレイ」と母に言われた頃の1枚。この頃の私、頑張っていた!

  • ふたりが赤ちゃんの頃は、かわいいと同時にお世話が大変でしたが、今ではこうして(私の監督の下で)キッチンに立ち、料理もできるほどに成長しました。お兄さんになったねー!