「どうせ無理」を捨てて、「まずやってみる」という生き方を
パリからLAへ移住、EMIKOのティーンガール子育て
- 名前
- EMIKO
- 家族
- 16歳と14歳の女の子、フォトグラファーの夫と4人家族
- 所在地
- アメリカ・ロサンゼルス
- お仕事
- モデル、「nanamina」バイヤー、プライベートシェフ
- URL
- nanamina
先月YouTubeで、北海道にお住いの植松努さんの「TED Talk」を観る機会がありました。
植松さんは北海道の赤平市で工業用マグネットを作る町工場を営みながら、ロケット開発、小型人工衛星などの開発もされています。小説『下町ロケット』のモデルにもなったロケット開発者としても知られていますね。
幼い頃、親からは簡単すぎるからとプラモデルを買ってもらえなかったので、ゼロから自分で作っていたように、何でも自分で工夫して作ることを覚えたそうです。失敗しながらもより良い方法を生み出し、工夫して、夢のロケット開発まで成し遂げた方です。
小さい頃から飛行機、ロケット、宇宙に興味があり、それらに携わる将来を夢見ていましたがまわりの大人達、学校の先生から「どうせ無理だ」と頭ごなしに怒られ、おまけに他の生徒からもバカにされたそうです。だけど彼は諦めませんでした。諦めずに、失敗をしてもそれを経験として捉え、新しい方法を生み出してきたからこその今の成功があります。
植松さんは自分の経験を生かし、今自分の町工場の仕事の他に、全国を回って子ども達に夢を届ける講演をされているそうです。考えてみれば私たちは小さい頃は夢があったのに、大人になるにつれて社会の現実を目の当たりにして、「現実はこういうもの、世間は甘くない」という架空のフィルターを通して考えるようになってきました。だから失敗して転ばないように、転びもしないのに先に杖を出して用心してしまいます。
特に親としては、自分の子どもには失敗して欲しくないから「安全」な方を勧めがちです。お受験と言われるものがまさにそれではないでしょうか。この学校に入っていればまず安心。でもその安心感ってまったくの架空のものだと思うのです。
世界は一歩外に出れば予想外のことだらけです。学校で、家庭で「これが正しい」と教えられてきたことも、文化の違う国に行けば通用しない場合もあります。常に工夫して、臨機応変に生きていかなければ、変化の多いこれからの時代には対応できない人間になってしまいます。
大人として、子どもが純粋な心で「したい」と思ったことをサポートしてあげたい。彼らの希望にフィルターをかけず、まずやらせてあげる。「できる」という気持ちを信じてあげる。
私が自分の母に感謝することは、常に私がしたいと思ったことをサポートしてくれたことです。母は祖母が厳しい人だったのであまり自分の自由がなく、だからこそ逆に娘には好きなようにさせてあげたいと思ったのかもしれません。私は進学もすべて自分で決めたし、パリへの留学も思いつきだったけれど直感に従って決めたことだったので、母はすぐに許してくれました。あのまま実家のある広島にいたら、きっと安全圏の中で幸せに暮らせていたとは思うけど、今の自分はありませんでした。
チャレンジするからこそ、予期しないもっと大きな素敵なことが未来に待っている。その道は厳しくても、自分の人生が終わりに近づくときに「いい人生だったな」と思える充実感のある日々を、子どもにも送ってほしいと願っています。
〈EMIKOさん連載〉
パリからLAへ移住、EMIKOのティーンガール子育て