母であること娘であること。子どもの反抗に愛をつなぐ

子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て
- 名前
- 三浦瑠麗 / Lully Miura
- 家族
- 3人(10歳女の子)
- 所在地
- 東京都
- お仕事
- 国際政治学者
- URL
- 三浦瑠麗(@lullymiura) Instagram
【子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て】
ある人が仕事の合間に立ち寄り、もう帰るわ、と立ち上がったあとに、立ったまま子育てと親の話になって、そのままついつい話し込んでしまいました。女同士の立ち話は、正解のない悩みを共有しているようなところがあって、今の状況をどうこう出来るわけではないことを分かってはいるのだけれど、ふうっとため息をつき、どちらからともなく、まあ頑張りましょうね、と同じセリフを吐くまでのあいだに溜まった思いを吐き出すことが目的。自分に喝を入れる前に、「ため」を作っているようなところがあります。
よく男っぽいと友人に言われる私ですが、それは昔の社会であれば男が引き受けてきた任務を担っているから。ひとりで下す素早い決断も、いま解決できない問題を脇に置くためらいのなさも、表のプレッシャーへの耐性も、必要があるから身につけてきたものです。でも、そのうえには女が引き受けがちな役割がのっている。大きな決断にいたるまでのちいさなプロセスも、子どもの状況の日々の把握も、家族や職場において必要なものが欠けていないかどうかの見回りも、親戚に対する対応も担っているのですから。だから、外で大きなストレスにさらされている一方で、内なるちいさな悩みも絶えることはありません。
家族という単位を回していくことに、女はたいてい大きな責任を背負っている。それはお醤油やシャンプーが切れていないことを確認する作業から、洗濯を素材や色ごとに順番につつがなく終え、子どもの夏休みの課題のために科学館の体験学習プログラムの予約を入れ、夜中に学校から持ち帰るiPadのインターネット閲覧履歴や利用時間をそっと確認しつつ、子どもの剥いだ布団をかけに行き、高齢の親戚の安否確認を行ったうえで、お中元の礼状を書き、休暇中の予定を組み立てるという、ささいなタスクの絶え間ない積み重ねです。
家族という独立王国で判断を下し、手を動かす人であり続けると、おのずと自分がすべてを判断して制御することに慣れ切ってしまいます。そんなとき、子どもの反抗はじかに私たちにやってくる。なにせすべてを取り仕切っている主役ですから。とりわけ娘であれば、早いうちから反抗心がむくむくと湧き起るのも当たり前です。
寝る時間のこと、姿勢をしゃんとすること、食卓でのマナー、いま家事や宿題をすべきかどうか。すべてにおいて反発をすることで、子どもは自分の自由の領域を広げようとします。物事の決定権者になれないからこそ、自分の自由をコントロールしているママに歯向かうことで自立を図ろうとしているのです。
ときには、ママが嫌がるからというだけの理由で、自由を貫いた気分になることも。乱暴な言葉を使ったり、ママが結ってあげた髪型をわざと崩して学校へ出かけたり。自分自身のちいさい頃を思い出せば、誰しもひとつやふたつ、思い当たるでしょう。そんな理由のあるようでないような反抗に、十代の多感な時期は満ち溢れています。
しかたない。表の仕事の方が大変なせいもあって、私は手抜きをすることで折れ、自分のタスクを減らすしかありません。食事を残すのを許容することから始まって、宿題をどうしているか、もうこちらは一切聞かなかったり。その代わり、家事と就寝のタイミングは問答無用で言うことを聞いてもらうなど。
そんな思い通りにゆかないことへの軽い愚痴を互いにこぼす立ち話の中で、友人が「親だってこっちに合わせてくれないじゃない。ただでも大変なのに、来てくれるわけじゃないしね、自分には自分の生活があるとか言って...」というので、ああそうだな、と思いました。そして、同時に親が実家に泊まりに帰ってきてくれと言わなくなってからどのくらい経つだろう、と指折り数えたのです。あれだけべったり密着していた母娘が、こんなにも離れたままそれぞれの暮らしをしていることが、はじめて不思議に思えました。母と自分を入れ替えて見なければ、気づかなかったことでした。母はどうやってそれを乗り越えたんだろう、と。
家族を担う。その重荷を半ば下ろしたあとの女の人生は、もはや子どもに対する主導権を持たない代わりに、新しい生き方を見つけねばなりません。スープの冷めない距離で孫に密着することでおばあちゃんという役割をする人もいれば、自分の暮らしを丁寧に生きることに没頭する人もいるでしょう。でも、大人になった娘たちはまだ母が自分のことをちゃんと見てくれていないと、子どものように不満を垂れている。
子育ては、エゴとエゴがぶつかり合い、自分の要求を必死に相手に通そうとする人間同士の取っ組み合いでもあります。けれども、親に愛や承認を求める子どものしぐさは疑いもなく無条件に湧き上がってくるものです。私たちはそれにきちんと答えているだろうか。親から子へ、際限なく求められ、渡されて、愛情をつないでいく貴重な輪っかのなかに、私たちはいるのですね。
〈三浦瑠麗さん連載〉
子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て