秋の味覚に囲まれて、親も子も命をいただき命を繋ぐ
子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て
- 名前
- 三浦瑠麗 / Lully Miura
- 家族
- 3人(11歳女の子)
- 所在地
- 東京都
- お仕事
- 国際政治学者
- URL
- 三浦瑠麗(@lullymiura) Instagram
【子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て】
秋は連休がいくつもあって、行楽シーズン。10月の三連休は子どものお泊り会を開催し、信州・小諸にある「松井農園」にリンゴ狩りとニジマス釣りに行きました。リンゴはちょうどシナノスイートが完熟したころ。なるたけ赤いものを採って、管理されている方に剥いてもらい、初めの一口はぱりっと固く蜜と香りがはじけます。秋映(あきばえ)の黒っぽい皮もツヤツヤとしており、もうすぐ熟すとのこと。リンゴを堪能した後は、浅間伏流水で育てられているニジマスの池へ。
子どもたち3人にひと竿ずつ、30分レンタルをしたのですが、はじめなかなか釣れなかった前回の教訓を生かして、エサはイクラではなく幼虫を選びました。怖いね、と言いながらもお父さんたちに針に幼虫をつけてもらい、池へ糸を垂らします。
すぐに引きがあって、次々とニジマスがかかりました。釣れていない子がいないか、親たちは自分の子も他の子も見て回ります。引きがあってからすぐに引き上げてはだめで、きちんと餌をのみこんでから引くんだよ、と教えるとコツをつかみ、またたくまに十尾も吊り上げました。
あがったニジマスをおばさんが手際よく捌き、炭火焼きにしていくのを並んで真剣に見つめる娘たち。かわいそう、とかなんとか言いながらも、自分たちがつかまえた魚をすぐにでも食べたくて目が輝いています。日本では動物の命をいただくことへの自覚をうながす教育はあまりやらないけれども、かんたんな釣り堀とはいえ、こうしてお魚を釣って捌くのを見るのは、一番身近な命の教育なのかもしれません。
スーパーでパックに包まれた丸の魚を買うのとも違って、ついさっきまで生きていたお魚をいただくということ。自分が釣って、魚体を素手でつかんだときに感じた命は、きっと記憶に残ることでしょう。
ひとり一尾ずつ農園でいただいて、家に持ち帰った3尾は自宅のバーベキューグリルで炭火焼にします。おばさんの手つきを見習って、いつもより丁寧に、両面と背中、腹を焼く。親がゆっくりと夕日を眺めながらワインを飲んでいる間に、子どもたちは身をきれいに平らげました。
お魚の身のむしり方は、ちいさい頃に覚えさせるといいですよね。先の細い箸をつかって、まずは上身をきれいにはがして食べていき、頭のところの身を少しむしったら押さえて骨をはがす。裏返す人もいますが、身が崩れるので骨を外した方がきれいに食べられます。背びれのところの骨はあいだの身をとり、魚によっては頭の上とほっぺたの身もむしる。ちいさい子は、はじめ皮が苦手な子が多いですが、そのうちに親のまねをして食べるようになります。川魚はシンプルな塩焼きだけでなく、小麦粉をふってムニエルにすると焼き魚に慣れていない子でも皮目がパリッとして抵抗なく食べられます。みかんを絞るか、あるいはバルサミコ酢で酸味を加え、ニンニクペーストとお醤油に少し料理酒を加えてアルコールを飛ばしたソースを合わせると、また別のおいしさが味わえます。
ちいさい頃、わたしはイワシとアジとサンマばかりで育ちました。ご馳走となるとニシン、そしてサヨリやカマス。魚と言えば小骨が多いものと思っていて、大人になって大きなカレイの煮つけやメカジキのグリルを食べた時には、こんなおいしいものがあるなんてとびっくりしたものでした。けれども、いまとなっては親が苦労して小骨をとって酢につけ、食べさせてくれたイワシの刺身が懐かしい。サンマはもはや高級魚となってしまいました。
お刺身と言えば、正月に帰省した時に門司港にあがったブリを特別にいただくのがならわしだったわが家で、台所に立って懸命に小さな青魚に骨抜きを使っていた母の心が身に沁みます。きっと5人の子どもたちに少しでも新鮮なものを食べさせたかったのでしょう。
手をかければかけるほどよいというわけではありません。いまは飽食の時代。旬のものを美味しく、感謝して余さず頂くということ。お魚のむしり方まで含めた、命の教育なのです。
〈三浦瑠麗さん連載〉
子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て