港に面した祖母の家で、こぼれるほどの思い出を抱えて

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子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て

名前
三浦瑠麗 / Lully Miura
家族
3人(10歳女の子)
所在地
東京都
お仕事
国際政治学者
URL
三浦瑠麗(@lullymiura) Instagram

子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て

門司の家に8年ぶりに帰ってきました。

祖母は、脳梗塞で半身が動かせなくなってからは両親の住む神奈川の実家のすぐそばの施設に入居していますが、かつては北九州の門司区にひとり暮らしていました。隣り合う家に住んでいた伯母も持病が悪化し、入院生活を経て先日亡くなりました。父が自身の姉の納骨を済ませるために帰っているあいだに、わたしも子どもを連れて祖母の家の片付けを手伝いに行ったのでした。

父が手入れをしにちょくちょく帰っていたこともあり、8年ぶりに見る家は、人の気配こそないものの、記憶とさして変わらないまま。高いブロック塀に囲まれて、天辺へと伸びた庭の白いサルスベリが陽の光を集めて咲いています。200年以上前に建てられ、増改築を経てきた古い家は、いまだに柱も廊下もしっかりとしてたわむことなく、一部ずっと張り替えていない畳だけが、中心を歩くと少し沈み込むようなのでした。国道を一本挟んで港に面している家は、しじゅう海風があたるために傷みやすい。それでも、昔ながらの日本の家はよくできています。金属でできた部分以外のところはしっかりとしているのが見て取れるのです。

通りすがりに、あそこを塗った方がいいとか、雑草を刈った方がいいというところに気づくのも、家をすでに昔と変わらないものとして見ているからでしょう。娘はもう2歳までの記憶を失っていて、新しい場所を見ているかのように駆け回ります。木の引き戸に、あおり止めがついているのは見たことがあっても、鍵をかけるときに小さな木の持ち手を横にずらして施錠するやり方も、昔ながらの雨戸の締め方も知らないのですから。これから住む家を探検する「トトロのさつきちゃん」さながら、賑やかにあちこち開けたり閉めたりして見て回ります。

家は人。一晩を過ごすうちに、家がもうこちらの方へなじんできて、わたしはちいさな薬缶に湯を沸かしながら、天井に取り付けたコンセントにアクロバティックに電源コードを差し込んだトースターで、まるで何年もそうしてきたかのような手つきでパンを焼いていました。

人間の生活を構成するものは、決まったルーティーンです。廊下を水拭きし、棚のほこりを払い、布団を干し、植木の手入れを頼んで、地代を集金して回り、お寺さんに次の法事の日取りを相談する。障子を張り替え、着物を縫い返し、季節の掛け軸と置物を出し、年の暮れに帰省する孫たちに食べさせる刺身を市場に注文しに行く。そうやってずっと変わらずに待ち受けてくれていたことのありがたさが身に染みる頃には、祖母はもう家に居ず、自分も年をとっているのでした。

わたしが持って帰る本を探す傍らで、娘は和紙がたくさん入った紙箱を漁っています。よく切れる鋏で和紙を切っては、割り箸に巻いてしごいてしぼを入れたりして、紙人形の着物を拵えるやり方を祖母に教えてもらったことがあります。魔法のようにいろいろなものが出てくるおうち。ごくちいさい頃のわたしにとって、この家はそんなイメージでした。

ひとつひとつ、娘が持ち帰る品の埃を拭きながら、この30年を思いました。今の娘と同じように、お祖母ちゃんのおうちの探検に無邪気に興奮していた日々。旧弊な家を飛び出したくて、外に憧れていた日々。なけなしの貯金を取り崩して、イタリアに飛んでいったこと。仕事の現実の壁にぶち当たって、落ち込んでいた頃。

まるで男性のような生き方だ、とわたしのことを思っていた祖母が、常になく嬉しそうに母に向かってわたしを褒めたのは、帰省して夕食の準備をしていたときでした。「お母さんになってちゃんとしまり屋になったわね」。蛇口から水を出す細さも、野菜の調理の仕方も、出汁の取り方も、さまざまなところに主婦らしい倹約が出ていたのでしょう。

祖母が倒れる前に、水仕事が結ぶ女と女の間柄になれてよかった。素直にそう思います。わたしが育った家の、あるいは祖母の家の、そうした体験がなければ、わたしは今のわたしではないでしょう。8年おいても一瞬にして引き戻される、この人を搦め取るような文化こそが、わたしの反発心を育て、外に羽ばたかせたものであり、そしてルーツでもあるのかもしれない。

娘は、持って帰るつもりのものがぜんぶ箱に入りきらず、べそをかいています。このおうちはありとあらゆるものがいっぱい詰まってるから、いちどきにはなくなんないのよ。また来ればいい、だいじょうぶ。安心して駅を目指す娘は、もうその次に訪れる場所へと頭が向かっています。家族の歴史が見守ってくれている家を、後にして。

〈三浦瑠麗さん連載〉
子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て

       
  • 百日紅

  • かき氷

  • 祖母と娘

          
  • 浴衣

  • お正月

  • 手縫いの着物

  • 祖母が暮らした北九州門司区の家。庭に咲く白い百日紅が、古い塀から顔を出して。

  • 門司に行く途中に寄った甘味処で、娘とかき氷を。

  • 娘がまだ半年くらいのころ、門司の祖母にはじめて会いにいったときの写真。祖母は歳をとってからは、祖父の男ものの着物を仕立て直して自分流に着るのが好きでした。

  • 1年生のときの浴衣姿。数ある浴衣のなかから、パイナップル柄を娘が自分で選びました。

  • 今年のお正月。わたしが着ている無地に紅葉の縫い取りのある小紋は、祖母が昔お茶会用に作ったもの。

  • 門司の祖母がわたしに着せてくれた手縫いの着物を、今度はわたしの娘に。3世代にわたって着られるのも着物ならでは。これは7歳の時にもらったお年玉。