抱っこして微笑んで、母親になったわたし

子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て
- 名前
- 三浦瑠麗 / Lully Miura
- 家族
- 3人(10歳女の子)
- 所在地
- 東京都
- お仕事
- 国際政治学者
- URL
- 三浦瑠麗(@lullymiura) Instagram
【子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て】
子どもが10歳になったあたりから、よく昔を振りかえるようになりました。物思い、というほどでもないのですが、いまあの子がそばにいるのにふと昔を思い出している自分に気が付くのです。
「ママ?」「うん?」「ママー?」「なあに」「抱っこ」
こちらの頭がお留守なのに気が付いているのか、娘はときどき近寄ってきては、「なんでもない」と言ったり、だまってぎゅうっとしたりします。特段、仕事のことを考えているというわけではないのです。むしろ、視界に入るやわらかくてすべすべした髪の、もう少しぽやぽやとしていた頃を重ね合わせて見ているだけ。
アルバムを整理していると、完全な親ばかみたいにおんなじポーズで何枚も撮りためた写真が大きく引き伸ばされていて、そのレンズのこちら側には彼女の表情のどんなちいさな変化も見逃すまいとしている私たちがいました。娘が赤ちゃんの頃に、大きい子がいる親御さんに「いい時期ねぇ」とか「もう二度とこの時期はやってこないのよ」と言われた意味が、いまとなってはよく分かる。
あのとき、つらいこともたくさんあったはずなのに、そうしたことは霞んで、写真を見始めるといい記憶ばかりが浮かび上がってくるというのも子育ての妙なのでしょう。
子育ては、思うに任せない自分の分身との闘いとして始まります。ミルクを飲んでくれない、なかなかげっぷをしてくれない。泣き止まない理由はお腹にガスが溜まっていたり暑かったりするからで、そのちいさな身体をめいっぱいに使って抗議して、泣き声をあげる娘にひたすら仕える日々でした。穏やかな日には、生成りのクーファンのなかで口元に微笑みを浮かべながら寝息を立てている娘の横顔を、ずっと見守って。ただ愛おしくてたまらなかった。
わたしは娘のおなかが好きでした。ぽんぽんと軽くたたいて撫でたり揺すってやったり、くすぐったりするたび、娘が声を上げて笑うのを飽きもせずに繰り返します。そのぽんぽんお腹はもうなくて、手足がすんなりと小鹿のように伸びた娘がだまってわたしに抱っこしながら、身体が膝の上に乗りきらずにいる。成長期の匂いはあのミルクの匂いとは打って変わり、汗ばんでいる。彼女の頭の中に詰まっている中身は、もう無邪気なものばかりではないでしょう。そう、彼女は早くも大人への階段に足をかけているのです。頭の中身は自分自身のことでいっぱい。額にできたニキビを気にしたり、なりたい自分の姿かたちや服装をああでもないこうでもないと空想する。へたに邪魔すると怒る。若い時分とはそういうものです。
黙って気が済むまで大きな子を抱っこしたまま、昔へ昔へ、あるいは先へ先へと思いが飛んでいくわたしは、彼女が家を出てもいないのに、もうその存在をあきらめかけています。自分とは違う人間であるという事実を認めること。それでも、愛し続けること。子育ては親を試します。自分が脆くなってしまうことに耐え、子どもが愛情を求めて気まぐれにやってくる時にはそこにいてあげて、ほんとうは気づいていることにも気づかないふりをしてみせること。もちろん、必要な時には助言をする。でも、親が助言をしたくらいでは物事は解決することはありません。親ができることは究極、物事の原理原則を教えることくらいです。
子どもは、ママが自分についていろいろ気づいていることを知りません。彼女から見て、「いつも能天気なママ」は、家族で外に出かけて酔っぱらって帰ると、マンションの廊下でハイヒールを脱いで走って競争したがる。「...もう。しょうがないんだから」―--子どもみたいに手がかかるママに娘はいちいち世話を焼きます。コンタクトレンズをはめたまま寝てないか。お風呂に入りなさい、などなど。わたしはわざといつもの娘の態度のまねをして、「あとでー」とか、「今入りたくない―」などと答えます。そうすると、いつものちいさな欲望はそっちのけにして、娘はてきぱきと寝支度をするのです。わたしは笑いだしそうになるのをこらえて、ベッドで安らいでいる。
子ども時代の願いは、母親がどうか幸せになってくれたら、ということでした。母親がこれ以上ないくらい満たされて、胸の奥底にも滓が沈んでいなかったなら。お米を研ぐ後ろ姿だけで、彼女がいま幸福なのか不幸なのかが分かったものです。とりわけちいさな時分には、その願いは自分自身の不安と背中合わせだった。わたしの安全が、母親の幸せによって保障されることを本能的に知っていたからでしょう。母親は、子どもにとってもっとも近しい存在。だからこそ、母親は表向き鈍感で、受容的で、そして謎めいているくらいでちょうどいいのです。
〈三浦瑠麗さん連載〉
子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て