おままごとから現実世界まで、「男の子」を巡る女の幸せを考える

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子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て

名前
三浦瑠麗 / Lully Miura
家族
3人(10歳女の子)
お仕事
国際政治学者
URL
三浦瑠麗(@lullymiura) Instagram

子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て

男の子、というのは、いつごろから女子にとって気になる存在だったのだろう。わたしの幼少期を思い出してみると、どうも幼稚園の頃から、男の子に対してちょっかいを出したくなる気持ちやら、話すときの気恥ずかしさやらといった感情が存在していたように思います。

娘は、保育園の頃はクラスで紅一点だったこともあり、まるで王女様のように注目され大切にされていました。世の中を三つに分けたならば、頼りがいのある先生、ママとパパ、その他大勢の男子たち、という世界観だったようで、教え導く対象としての「甘えん坊の男の子たち」という設定が、その後もなかなか抜けきらないようです。

保育園に夕方お迎えに行くと、よく彼女主導で男の子たちがおままごとをしているものでした。娘はお母さん。そして男の子たちはペットや、赤ちゃんや、お父さんや、その他大勢のお母さんに面倒を見てもらうお役目。「もう、しょうがないわね」と、自分が言われているようなセリフを使って、いそいそと「赤ちゃん」の面倒を見る娘。彼女の築き上げたちっちゃなおままごとの世界が可愛くて、お迎えに来たことをすぐには知らせずに、そっと脇からのぞいてみていたものでした。

5歳になったころには、ついにパパも教え導く対象に落下。「なんで洗濯物の色物と白物を間違えるの?」とか、「こういういい加減なスプーンのしまい方をしちゃだめ」とか。ありとあらゆる生活態度に物言いをつけるようになりました。彼女はお手伝いを覚えてぐんぐん成長します。昔は何事につけ頼って甘えていたパパを追い越し、大人に近づいていく。パパは、してやられたと思うような皮肉を言われたりして、寂しくも嬉しそう。確かに、成長した娘は頼もしいものです。けれども、時折ふと、こういうアプローチでよかったんだっけ?と思うことがあります。世話焼きの女の子と、ちょっぴりだらしのない男の子が組み合わさって、あれこれ指導する関係性を目指すのが、果たしてよかったのだろうかと。

古典文学作品における恋愛対象としての男性は、欠点を抱えつつも何か神秘的なところを抱える「未知の存在」として描かれることが多いようです。ダフニ・デュ・モーリエの小説『レベッカ』に出てくる妻と死別した貴族の男性マキシムは、暗さをうちに秘めた孤独な人間で、世間知らずな若妻「わたし」は彼の懊悩に手が届かず苦しみます。『ジェーン・エア』のロチェスターも、同じような暗さを抱えている。気難しいほどにまで手に届きにくいところにいる男性が、次第に心を開き、まじめな女性に自らの欠点や罪を打ち明け、互いを心底求めていることを確信しあって、子どものように純真に愛し合う。このパターンは女性の心を揺さぶります。美しく考え深い女性が、住み心地の良い家を切り盛りし、伴侶たる男性のもっともよき相談相手となる。魅力的すぎるこのパターン。それがもたらす快感の源を、もっとちゃんと探ってみなければいけないのではないか、という気にさせられます。

女性は、男性をお世話することで幸せになれるのでしょうか。愛するに足る男性とは、いったい何なのでしょうか。相手に尽くし続けることが人生ではないからといって、必ずしも利己的であることが幸せにつながるとは限りません。むしろ、利己的である人は幸せを遠ざけてしまう可能性が高い。なぜならば、人はどうしても孤独を避けて愛情や関心を手に入れようとするのですが、よっぽどの権力関係や利益、あるいは信念が絡まない限り、利己的な人に尽くそうと思う人はいないからです。

ときにわたしたち女は、理想と現実のギャップを「おままごと」で埋めようとします。相手が自分の思うような高みにいてくれないとき、相手が自分の求めるような愛し方をしてくれないとき、男性を相手におままごとをする。好きだという気持ちが先走り、その人自身を見ずに自分の幻想をかぶせてしまった挙句、それが満たされないことが明白になると、巣作りをしはじめるのです。相手が理想的でなくとも、巣作りをしたい自分の本能だけは本物だから。こうやって女性は、はじめ恋の対象であった男性からはなれて、「尽くす自分」を中心とした世界を築き上げていきます。

頭の中で思い描く、恋愛における男性像と、現実の男性像が食い違うのはままあること。男と女がほとんどの場合分かり合えない、という問題と根っこは同じです。娘はうすうすそれに気づいていて、「結婚なんてぜったいしないんだ」と主張する一方、「お婿さんをもらったあともママとパパと住むにはどうしたらよいか」などといった将来の不安もあるようで、両にらみで人生を考えているのも面白い。周りを見回してみれば、クラスの男子はがさつで乱暴だったり、ロマンチストでなかったり深みがなかったりして、自分の求める男性像との乖離は甚だしいようです。なのに、恋に憧れる気持ちだけはあって、ママだけでない、自分を受け止め愛してくれる存在を異性に夢見るのですね。

自分の思い描く理想にぴったりと合った人でないからといって、その人が立派でないということにはなりません。娘も、一番身近な異性であるパパが真価を発揮するシーンにもっと立ち会えたなら、意識が変わるんじゃないか。自分の中で理想と現実の折り合いをつけつつも、男性に先入観を抱かなくなるかもしれない。そう思い、わたしはときどき夫を、父娘二人でのお出かけに送り出します。「男の子ってだめだよね、わかってないよね」、というぼやきの中にときどき、「パパって(意外と)すごいね」、というセリフが混じってくれるように。そうなんです。普段はクマみたいにソファで寝っ転がってばかりいるけれど、パパって意外とすごいんです。そしてあなたのことをとても大切に思っているの。だから、お手柔らかにね。

〈三浦瑠麗さん連載〉
子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て

       
  • ママとふたりでディナー

  • パパのハンバーガー

  • ショーウィンドウ

          
  • 手作りケーキ

  • 京都

  • パパのいないディナータイムは、ママを独り占めできて、かつ注文で主導権をとれるのが、娘は嬉しいみたい。

  • パパが手作りする炭火焼きハンバーガーは、娘の一番お気に入りメニューのひとつ。「パパもたまにはすごいんだよね」と、一つ余計な感想を述べながら。

  • キラキラしたクリスマスの小物が、大好き。セレクトショップのショーウィンドウに見惚れる娘。

  • 娘と焼いたフルーツケーキ。「パウンドケーキ」の名の通り、小麦、バター、卵、砂糖、いずれも200g使って、1時間かけて焼いた古風なケーキです。

  • 家族で京都にお出かけ。泊まった「フォーシーズンズホテル京都」のテラスで、朝ごはんを食べながら。