子どもが「将来○○になりたい」と言い出したら......!?

Choice

子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て

名前
三浦瑠麗 / Lully Miura
家族
3人(10歳女の子)
所在地
東京都
お仕事
国際政治学者
URL
三浦瑠麗(@lullymiura) Instagram

子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て

先日、MINIのコマーシャルに出演して、共演者の八代英輝さんとドライブしながらディスカッションをするという収録をしました。その一つのトークテーマだったのが、【子どもがYouTuberになるって言ったらどうする?】というものでした。

そういう時代ね...と思いながら賛否の意見それぞれにおしゃべりをしたのですが、わたしの意見は「YouTuber? 何それ」というもの。もちろんインターネット動画に出演するのはわたしにとって日常の仕事の一部ですから、インターネット動画の意味を過小評価するものではありません。その意味では、「テレビに出る人になりたい」と言われた場合と同じ反応です。自分がたまたまそこに今いるのは、テレビに出ることを目指した結果でもなければ、インターネット上の知名度を上げようと思って頑張った結果でもないから。

人気者になりたい、という気持ちは、子どもの頃から人間にはあるはずです。「サッカー選手」、「野球選手」、「歌手」などに憧れる気持ちと同じように「YouTuber」や「テレビタレント」になりたいという気持ちが生じるのはわからないではありません。人に愛されたい、という欲望は、人間の根源的な衝動のひとつですし、あるタイプの人にとって知名度は麻薬のようなものなのかもしれません。いつか全国レベルで有名になってたくさんのお客さんに自分の芸や話を聞いてもらおうと頑張って下積みを重ねてきた人が、晴れてブレイクする。それは幸せなことだし、素晴らしいことだと思います。

ただ、それでも子どもに「YouTuberになりたい」と言われた場合に、一呼吸おいてわたしが苦言を呈してしまうだろう理由は、芸の中身はともかく注目を惹きつけたいということが先に来てしまっているように思えるから。再生回数がすべてのようなことを言い出すとすれば、肥大してしまった自我が大勢の承認なしには生きていけないモンスターのようになって自分をむしばんでしまわないだろうか、という思いがあるからです。

ところが八代さんは、反対に子どもが目指したいって言ったら、「いいんじゃない」と自分は言うのではないか、といいます。自分自身が弁護士という職業だから、クリエイティブな職業にあこがれを持つところがあると。たしかに、動画を自分で作って出す、どこへ行ってみるかを選ぶ、何をしゃべるかを考えるということは、表現活動そのものです。わたしは頭が固いのかもしれないな、と思いながら彼の意見を聞いていました。

インターネットの世界は、はやい。動画も記事も賞味期限が短く、膨大な情報の中にすぐうずもれていってしまいます。わたしはSNSも利用していますし、日々更新されるニュースの世界に片足を突っ込んで生きていますが、時代に完全には適応しきれていない。メールと違って手紙は時間をかけて書くものですし、破っては捨てして書いた言葉は、インクが染みこむように、その言葉つきが紙に浮かび上がってしまう。だからこそ、いただいた手紙のなかで重要なものは時折読み返したりします。本もそうです。文字は印刷されてその重みを増します。何でも取っておくのではなく、物でも言葉でも、選び抜かれたものだけを手元に置いておきたいと考えるわたしならではの、偏りや偏見があるのかもしれません。

ただ、YouTuberを職業とするということは、いずれにせよ注目を集めなければ経済的にペイしません。仮にそれに成功した場合、注目とどうやって付き合っていくかについても考えなければならないでしょう。

「注目される」ということは、まさに今を生きることです。今この瞬間を楽しむということ。しかし、そこには血管を通じて身体全体に回る刺激成分があって、それがないと生きていけなくなったり、足元で起きていることをゆっくり振りかえる間もなくなったりする。それに疲れて辞めてしまう人もいるし、刺激をうまく飼いならしている人もいます。世間が必要としなくなって、刺激成分を得られなくなる人もたくさんいるはずです。物事には、始まりがあれば旬と終わりがある。そのことはわかっていてほしいと思います。仮に一時期注目されて面白い体験ができたとしても、人生はとても長いのですから、最終的にはそうではない期間をどのように過ごすかの方が重要だったりします。

人生の時間をどのように過ごすべきか。これは10代の子どもがはじめからわかることではありません。短い人生しか過ごしていない彼らにとっては、一年のあいだに自身があまりに大きく成長するため、時の価値はとても高いのですが、同時に一日一日があまりに長いがゆえに、その日をどう過ごしたかはあまり重要ではなくなる。わたしたち大人にとっては一日が短く、そして得られるものが相対的に少ないがゆえに一年の価値はちいさい。

若い人ほど物事から受ける印象はビビッドなのですから、その場その場で躍動感をもって生きられれば良いと感じるのは当たり前でしょう。しかし、そうやって時間を積み重ね、40代になったとき、突然「何を自分のものにできたか」が問われるようになります。自分は何の型を身につけて、何によって身を助くのか。趣味にしても、人間関係にしても、仕事のスキルにしても、自己表現のあり方にしても。

よく、30代半ばや40代になって仕事に「飽き」が来る人が多いのは、若い頃には感じられた躍動感がなくなった、ということを意味しています。同じ仕事をしていても、同じように人生を歩んでいても、めったに感動しなくなったり、若い頃のようなはじける喜びや恐れまでも消えてしまう。日々が繰り返しになり、そこからの発見は少ない。

子どもたちは、「自分が何者でもない」ことによる不安をたくさん抱えて生きていますが、一方でこうした恐れを知りません。おそらく、大人も正解を知らないからこそ、そして若い時分の貴重さを知っているからこそ、あれこれ言いたくなるのでしょう。人間は世代を超えて同じことを繰り返します。テクノロジーやあれこれで様々なことが変わったような気がしても、人間の人生が時間との向き合いである点は変わらないのですね。

当の娘はといえば、このあいだは「ハーブの博士になりたい」と言っていました。「なんで博士なの?」と聞いたら、「資格があった方がいいでしょ」、とのこと。いろんなハーブで作る化粧品や日用雑貨の本を蒐集するわりには、一向にハーブ製品が提供される見通しは立たないのですが、気長に見守ろうと思います。

〈三浦瑠麗さん連載〉
子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て

       
  • MINIスペシャルコンテンツ

  • 雪の日

  • ランチ

          
  • 公演散歩

  • スコットランド

  • MINIのスペシャルコンテンツ「BIG LOVE. みんなの違いを、パワーに。」に、ゲスト出演しました。国際弁護士の八代英輝さんと、ドライブをしながら旬の話題をディスカッションしました。コマーシャル撮影後に八代さんと。

  • 東京に雪が降った日、オフィスで猫のレオを抱っこする娘。

  • とある日、南青山で遅めの昼ごはんにシャンパンとフムスをいただきました。

  • 広尾の有栖川公園で、チワワのテトを散歩させる娘。

  • かつて娘と訪れたスコットランド。田園風景の広がる中心部にある歴史あるホテル「ザ グレン イーグルズホテル」の美しいお庭にて。