乾燥機が逆さに!?ベトナム生活で直面する、異文化の驚きとおもしろさ

ベトナム移住ママの「家族時間を大切にする暮らし」
- 名前
- 髙田麻紀子/Makiko Takada
- 家族
- 5人家族(夫、9歳男の子、6歳男の子、2歳女の子)
- 所在地
- ベトナム・ホーチミン
- お仕事
- MASYOME Founder/La Ruche d’Ange代表
- URL
- Makiko Takada Instagram
【ベトナム移住ママの「家族時間を大切にする暮らし」】
気がつけば、ベトナムで暮らしてもう2年以上。日々の生活のなかで、日本との違いや驚きはまだまだ尽きません。
ハノイに引っ越したのは2023年の1月。引っ越してすぐにベトナムの旧正月(テト)の大型連休があり、私たちは近場のフーコック島へ。"東南アジアのハワイ"とも呼ばれる美しい島でのんびりリゾートを楽しんできました。しかし、すっかり癒されて帰ってきた我が家で待っていたのは、まさかの出来事でした。
帰宅してみると、乾燥機が上下逆さに取り付け直されていたのです。よく見ると、ロゴのシールやステッカーは正しい向きのまま貼られています。「えっ!?」と、夫婦でしばらく無言になり乾燥機を見つめあう、狐につままれたような時間......。
テト期間中で管理人も来られず、そのまま数日"逆さ乾燥機"と暮らすことに。逆さなので乾燥機を開ける位置そのものが変わってしまい、すごく使いにくい。しかも、「この状態でちゃんと乾くの?」というじわじわ湧いてくる不安まで。
ようやく休み明けに来てくれた男性スタッフが、大きな乾燥機を2人がかりでグッと持ち上げ、くるっと回転させて元通りにしていくのを見て、「これを旅行中にやったの?しかもステッカーまで貼り直して??」と、一瞬思考が止まりました。
あとから聞くと、クリーナーの女性が乾燥機の音がおかしいと感じ、「壊れてるかも」と心配して、上下を逆にしてみたとのこと。まさかの親切心。いやいやいや......とは思いつつ、やってくれた理由が"優しさ"だったと知ったら怒る気にもなれません。ただひとつ、これからは何かある前に一言伝えてもらわないと困る、と伝えました。
実はその後、ハノイ市内で一度引越しをしたのですが、そのときにもまた「乾燥機逆さ事件」が。入居前に乾燥機を新しくしてもらったのですが、設置された乾燥機のサイズが以前よりも大きくなっていて、ランドリースペースの扉が閉まらないという問題が発生。「逆さにすれば扉が閉まる」との理由から、またしても上下逆に設置されていたのです。
そのときは思わず、「乾燥機を逆さにするの、ベトナムではよくあることなんですか?」と真顔で聞いてしまいました(笑)。
また、デリバリーを頼んだ際に、道に迷って届けてくれたシッパー(配達員)からこんなショートメッセージが届いたことも。
「Bonus Pls」
「ボーナス!?」。住所は正しく入力してあったので、道に迷ったのはこちらの不手際ではないと判断し、デリバリー会社に伝えて対応してもらいましたが、思わず笑ってしまいました。「もらえたらラッキー」くらいの感覚で言ってみたのでしょうか。たくましさすら感じた出来事です。
最近ではこんな出来事も。
ハノイで布市場とお仕立てにすっかりハマり、市場だけでは物足りなくなってローカル向けのオンラインコミュニティでも生地を探すようになりました。やりとりはベトナム語。翻訳アプリを使いながら何人かの業者とやりとりしていたときのことです。
私:「この生地は1mいくらですか?」
業者:「これは1m〇〇VNDだよ」
私:「では〇m欲しいです」
業者:「ありがとう。それより、あなた何歳?」
私:「......!?」
年齢を答えると、「私の方が年上だから、これからあなたのことは"Em"と呼ぶね」と言われました。そこからは、「Em、この柄はどう?」「Em、送り先は?」と、Em呼びの連発。そこまで呼ばれる意味があるのかと不思議に思う反面、呼び方ひとつとっても、年上の方を敬うベトナムの文化が表れていておもしろいなぁとも感じました。
ちなみに、「すみませ〜ん」にあたる言葉も年齢で変わります。年上には「Chi oi」、年下や同年代には「Em oi」。すっかり"エモーイ"が口癖になってしまい、旅行先のタイでも「Em oi!」と言いそうに(笑)。
また、日本では車で狭い道路で道を譲る際に、「お先にどうぞ」として使う"パッシング"。ベトナムでは意味が真逆で、「先に行くぞ」の合図。譲られるどころか、グイグイ来られます。さらにクラクションの使い方にも文化の違いがあり、危険回避や「ここにいますよ」の存在アピールとして頻繁に鳴らされます。
小さなことのようでいて、言葉や仕草の違いにはその国の人柄や文化がにじみ出るもの。驚きや戸惑いのなかにこそ、異文化のおもしろさがあるなと感じます。
もちろん、驚くことや戸惑うことも多いけれど、だからこそ気づけたこともたくさん。日本の良さ、丁寧さ、察する力のありがたさ。集団の調和を重んじる文化ゆえの同調圧力の強さという側面も含めて、外に出たからこそ改めて感じられるようになりました。
子どもたちも、日本の清潔さを当たり前ではないと気づいたり、より日本人としての意識や日本愛が強くなった気がします。日本でもインターナショナルスクールに通っていましたが、海外で外国人として生活することで、肌で違いを感じているようです。
長男がハノイで最初に通ったスクールでは、日本人は彼一人だけ。本人は気にしてませんでしたが、日本の隣の国の男の子にいきなり「日本は悪い。昔、僕たちの国に悪いことをした。だからお前も悪い」のようなことを言われたことがありました。
その件は相手側の親からも謝罪があり、その後は仲良くなりましたが、まだ1年生の男の子には負担が大きすぎるのではないか、と私は頭を抱えました。「せめて日本人が他にもいれば、支え合えたのではないか」と、そのことだけが原因ではありませんが、長男はその後、学年が上がるタイミングで違うスクールに通うことになりました。
最初は、「日本人がいない環境の方が英語力が伸びるのでは?」との思いもありました。でも実際に現地で生活してみて、安心できる友達がいることの大切さを痛感。子どもにとって、同じ文化や言葉を共有できる存在がそばにいるというのは、心の拠り所になるのかもしれません。スクール側からは、英語を第二言語として伸ばしていくには、まず母国語の力がしっかり育っていることがとても重要だと言われます。漢字には苦戦していますが、母国語を大切にしたいという気持ちはずっと持ち続けています。
海外で子育てをしていると、文化や教育、言葉や人間関係、あらゆる角度から自分自身の価値観が浮き彫りになります。そして、それは決して悪いことではなく、むしろ「私たちは何を大切にしているのか」を見直す良い機会になると感じています。
ベトナムでの暮らしは、驚きや戸惑いの連続。でも、そのひとつひとつが、私たち家族の視野を少しずつ広げてくれているように感じます。これからも、変化の中にある"気づき"を大切にしていきたいと思います。
〈髙田麻紀子さん連載〉
ベトナム移住ママの「家族時間を大切にする暮らし」