中学受験をしない。思春期の子どもの心を支えた「雑談の時間」
「子どもの好き」が最大のモチベーション!な国際派子育て
- 名前
- 佐久間麗安 / Rena Sakuma
- 家族
- 4人 (11歳男の子と9歳女の子)
- 所在地
- 東京都
- お仕事
- Bright Choice編集長
- URL
- Rena Sakuma (renanarena0513) Instagram
【「子どもの好き」が最大のモチベーション!な国際派子育て】
「僕は、スポーツばかりしているからバカなんだ」
思春期真っただ中の、2021年秋。小5の息子の心はすっかり縮こまっていました。
猛暑の続く夏休み、着替え用のTシャツとタオルを何枚も持って練習や試合に励み、帰宅すれば汗でずっしりと濡れた洗濯物を回す日々。黒焦げに焼けた肌をして塾に行き、夏休み明けには英検準一級まで取得。先取りしてきた受験算数も、この冬に小6の範囲まで終わります。
来年は受験生。年明けには、テニスの東京大会が待っている。どちらにも対応できる学力と、テニスの戦績は積み上がった。
それなのに、思春期の息子の心は、いまにも崩れそうなジェンガのブロックのようにグラグラと揺れている。
息子はただ、テニスと勉強が他の子どもよりも好きなだけ。どんなにテニスで身体を酷使しても、勉強に励むことを楽しめる。いま成長期である彼の心と身体は、こぼれそうなほどのエネルギーで満ち溢れています。
しかし、「小学校6年生になったら中学受験をする」、人生にとって重要であろうタイミングに、どうしても自分のエネルギーを向けられそうにない。
ひたすら今を生きる彼の心は、初めて認識する「中学受験」という名の社会的ヒエラルキーへの挑戦に、小さなリスのようにおびえ切っていたのです。
ゴールデエイジ期の子どもは、学習能力も身体能力も、飛躍的に成長します。スポーツに真剣になればなるほど、中学受験はもう二度と来ない成長機会を奪う弊害となりますから、心身共にまだ成長余地のある子どもに「どちらか選べ」というにはとても酷なタイミングです。
しかし、子どもというのは、親の期待に応えたい、と本能的に思うのですね。
私の「文武両道で海外進学」という教育方針は、彼の個性に合った正しい進路に見えました。インターナショナルスクールから中学受験をし、英語と理数の学力を強化すれば「進学に困ることはない」。親の意地汚い、不安な気持ちに蓋をするような大義名分に黙って合わせてきてくれた彼は、「これ以上頑張れない」、という心のサイレンを鳴らしていました。
「息子よ、ごめん。」
私は、彼のテニス愛や知性を濫用していたかもしれません。
思春期の子どもというのは、不安な気持ちに陥った時、様々な形で警鐘を鳴らします。気の強い子どもであれば、「反抗」という形で牙を出す。そうでない子どもは、息子のようにくよくよしたり、拒否反応を示す。
小学校高学年にもなれば、どんな分野でも社会的な競争に直面します。中学受験しかり、スポーツもしかり、10年そこらしか生きていない思春期の子どもにとって、生まれて初めて社会を認識し、自分を試される体験というのは、とても恐ろしいものです。
答えのない世の中、その先に何があるのか、自分が何者になれるのか、未知の世界が広がっている。未来が輝いているのか、真っ暗闇なのか、どう見えるのかは、"子どもの心次第"。
真っ暗闇の渦中にいた息子を救ってくれたのは、指導者との「雑談の時間」でした。
それは、小学校高学年の社会的な競争に勝ち抜くため、小5になってぐっと増やしたテニスのプライベートレッスンや家庭教師との勉強でのこと。
算数でもテニスでも、その道に明るい指導者とは、「雑談」も多かった。
テニスのコーチとは、
息子が大ファンである、ロジャー・フェデラーに実際に会った時の話、
US OPENの控えでピート・サンプラスがカードゲームをしていかにリラックスしていたか、という話
スペインの新生、カルロス・アルカラスを強くした、テニスアカデミーの話、
算数の家庭教師の先生とは、
円周率を小数点以下、どこまでいえるか競争、
億 兆 京 垓~無量大数、までの無限に続く数の単位を覚えた話、など、
私が、「今日はどうだった?」と聞けば、息子は、決まり文句のように「ママ知ってる~?」といって、練習や勉強した内容ではなく、先生との「雑談」の話を面白そうに語ってくれる。一見本質から逸れた対話の中で、彼は自分の中に存在する興味関心が「確かなもの」であることを確認していたのでした。振り返れば、それは息子にとって自分自身を確かめる、大切な時間でした。
そうして、息子はいつしかくよくよすることをやめ、年末にはテニスもぐっと安定し、塾も一番上のクラスに進級しました。
「中学受験をしたくない」
最近になって親の顔色をうかがいながら、おそるおそる息子が言ってくれたことです。少し控えめな言い方をしたのは、社会的都合上、リスクがあることも知っているからでしょう。
「中学受験はしなくていいよ」
私も怖がらずにそう言えるようになったのは、息子が自分を見出し、彼にしかない知性を養っていると感じたから。
「僕は僕でいいんだ」
そう自分を確かめながら、自分で結果を出せたとき、子どもは確かな自信を持ちます。
それは、自分らしい生き方の発見であり、彼がどんなに高尚な授業やテニスレッスンを受けても、得られない宝です。
当然、社会的な都合を考え、道しるべを出すのも、親の大きな役割。しかし、子ども自身が、厳しい競争社会でも決して壊れることのない、ぶれない"心のコンパス"を持っていれば、おのずと宝島に到達できるのではないか。
子育ても、その方が面白いじゃない。
思春期の子どもを持つ親として、悩みに悩んだ末に得られた、大きな教訓です。
〈佐久間麗安連載〉
「子どもの好き」が最大のモチベーション!な国際派子育て