「正しいの反対はもう一つの正しい」新しい時代に改めて意識すること

わたしはわたし」自尊心を育む子育て
- 名前
- 浅倉利衣 / Rie Asakura
- 家族
- 4人 (8歳と6歳の女の子)
- 所在地
- 東京都
- お仕事
- コラムニスト
- URL
- Rie Asakura (@rie_asakura) Instagram
【「わたしはわたし」自尊心を育む子育て】
とても好きな詩の一節があります。
ペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人といわれている、ジャラール・ウッディーン・ルーミーの詩です。
"Our beyond ideas of wrongdoing and rightdoing, there is a field. I'll meet you there"
「正しさと誤りの観念を超えたところに野原がある。そこであなたとまた会うでしょう」
うーん、何度読んでもしびれます(笑)
もしかしたらちょっと高尚な内容にきこえるかもしれませんが、でも今改めて、この意識を大切にしたいなと思うのです。
というのも、特に昨年から、あらゆる面でますます多くの情報が飛び交い、何が正しいのか間違っているのかについて右往左往させられたり、自分の「正」の逆は認めにくくなりやすい空気も流れているなぁと感じているからです。
正しいの反対はもう一つの正しい。
冷静に考えると、自分が見ている世界は自分の主観であって、だとしたら、他人にも他人の主観がありますよね。
だから、たとえ同じ世界に生きているようでも、他人の見ている世界と自分の見ている世界は異なっていて当然ですし、一つのことをとっても解釈は様々。むしろ、全てを包括するかのように俯瞰した場にいたい。
そんな風に捉えられると、日常生活そのものは以前と変わらなくても、日々体感する世界は全く違うものになるように感じています。自然と、「強要」や「対立」ではなく、「尊重」と「調和」を選択できるようになる。
そして子育てでは、親としてのあり方に大きな影響を及ぼすと思うのです。
親は子どもより色々知っていると思いがちです。古い固定観念に縛られてしまうと、「親のいう事は正しいからいうことを聞きなさい」などと、言動や態度に出やすいでしょう。子どもの意見や感覚に耳を傾け、尊重することも難しくなってしまうと思います。特に、自分自身がそういった環境で育ってきたとしたら尚更です。無意識のバイアスは目に見えないからわかりづらいけれど、実はあらゆるところに潜んでいるように感じます。
今はまさに、あらゆる常識や当たり前だったことが覆され時代が変化している最中。だからこそ、変化を受け容れながら、自分もいったん"逆さまになってみる"感覚でいたいなと思うのです。それは、無意識の領域にある今まで培われてきた固定観念や概念やらを、少しずつ意識上にあげて、自分をもう一度育てるかのように見つめ直すこと。なんでも知った気になっていないかと、謙虚な気持ちでいること。
むしろ、子どもの純粋な感覚からハッとさせられることって、よく見て聞いていれば、日常にたくさんあります。
余談ですが、今から約2年ちょっと前、次女がまだ3歳の頃、家の中に小さい小さいゴキブリがいて退治しようとしたら、「でもそうしたらむしさんのおとうさんとおかあさんとおじいちゃんとおばあちゃんがかなしくなっちゃうからやさしくしてあげよう」と言われて、ぐうの音も出なかったことがありました(笑)
今思うと、余計なことが覆い被さっていない純粋な子どもの方が、ルーミーのいうフィールドにいるんじゃないか?とさえ感じるほどです(笑)
親だけが正しいわけではない。
自分にとっての正しさがあれば、他の人にとっての正しさもある。
「頑固オヤジ」という言葉がありますが、年齢を重ねれば重ねるほど、脳は凝り固まっていきやすいですから、意識してゆるませながら、日々新しい学びの機会を与えられているんだと、謙虚さと感謝の気持ちを忘れずにいたいですね。それは、対人関係や全てにおいても通ずること。
そして、親である自分のあり方は、いつか子どもたちが大人・親になった時に、またその次の世代に影響してくるものでもあるから。
つくづく人生は、常に学びのプロセスそのもの、だなと感じます。
〈浅倉利衣さん連載〉
「わたしはわたし」自尊心を育む子育て