なぜカナダへ?母子留学のきっかけは「ドイツで過ごした幼少期」

カナダに「教育移住」した私の「母子留学つれづれ日記」
- 名前
- 高田さおり
- 家族
- 4人家族(14歳と11歳の男の子)
- 所在地
- カナダ・ブリティッシュコロンビア州
- お仕事
- Study & Stay代表
- URL
- Study & Stay Instagram
【カナダに「教育移住」した私の「母子留学つれづれ日記」】
以前のインタビューでもご紹介いただきましたが、私は「もう一度カナダに住みたい」というバケットリストを叶えるべく、2人の息子を連れて、2020年の秋からカナダ・BC州へ母子留学に来ています。
早いもので新天地での生活を始めて1年が過ぎました。
昔、住んだことのある大好きな場所とはいえ、知り合いもいないなかでスタートしたワンオペでの親子移住生活。2021年は自分の想像をはるかに超えた、チャレンジャブル、かつ波瀾万丈な年となりました。
コロナ禍で、いわゆる日常生活の「通常モード」と「コロナ対策モード」の境目も分からなかった日々に加え、去年のカナダはたびたび異常気象に襲われました。6月に熱波で気温が42度を超える日があったかと思えば、12月には70年ぶりにマイナス50度を観測する大寒波を記録。
カナダ人であっても普通に生活をするだけで大変な年であったことは間違いなく、そんななかで移住生活をスタートさせた私たち親子も、想定外の経験をたくさんしました。それでも私が母として、2人の息子たちの子育てをしながら色々と乗り越えられたのは、過去にいくつかの逆境を乗り越えてきた経験があったからかもしれません。
私は父の仕事の関係で5歳の時にカナダのバンクーバーに1年、小4から中2までの5年間はドイツに住んでいました。ドイツへ渡ったとき、私はまだ9歳。英語もドイツ語もまったく話せず、アルファベットも書けない状態で、ある日突然、現地の学校に通い始めたのです。
しかも、当時は東西ドイツが統一した翌年。ドイツ人同士ですら、国民としてお互いに歩み寄るのにギスギスするような時代背景のなか、住んでいた地域がドイツのなかでもかなり田舎だったこともあり、私のような外国人に差別の目が向けられる事は日常茶飯事でした。
西洋人の中にぽつんと入ったアジア人の心細さと、疎外感の様な物を感じながら過ごした日々は、今思い出しても決して楽しい思い出ばかりではありません。しかし、そんな経験が徐々に私のメンタルを強くもしました。
言葉が分からなくても、何とかして自分から分からないという事を伝えなければ誰にも理解してもらえないことや、教えてもらう事すらできない事も、ドイツでの日々のなかで学びました。
そんな私にも、ある時、ドイツ人の友人ができました。言葉が分からず困っている私に寄り添うようお泊りに誘ってくれたり、友人のご家族たちも、少しでも私が早くドイツに馴染めるよう考えて動いてくれたのです。
困ったときに差し伸べられた手。損得勘定のない優しい気持ち。純粋に助けてくれる人の温かさ......。それらが国を超えても存在することに子どもながらに感動し、こんなにも有難いと感じた事はありませんでした。
ドイツで暮らした経験は、辛いことも多かったけれど、私のなかで「人としてこうありたい」という軸を作りました。そして、「その軸を大事にして生きていきたい」と、いつからか思うようになりました。同時に、2人の息子たちにも「人の痛みが分かる人」「国籍や人種が違っても困った人がいたら自然と寄り添える人」になってもらいたいと強く願うようになったのです。
ドイツに長く住んでいた私ですが、そんなバックグランドから、ダイバシティで国としても移民を多く受け入れており、差別の少なそうなカナダを母子留学先に選んだのです。
〈高田さおりさん連載〉
カナダに「教育移住」した私の「母子留学つれづれ日記」
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