カナダでの母子留学を経て感じた「息子たちの変化」と「母の私が得たこと」

カナダに「教育移住」した私の「母子留学つれづれ日記」
- 名前
- 高田さおり
- 家族
- 4人家族(14歳と11歳の男の子)
- 所在地
- カナダ・ブリティッシュコロンビア州
- お仕事
- Study & Stay代表
- URL
- Study & Stay Instagram
【カナダに「教育移住」した私の「母子留学つれづれ日記」】
3年前に準備をスタートし、コロナによる影響で当初予定していたタイミングよりも半年遅れてカナダへ渡り、初めて経験した海外でのワンオペ育児。何不自由ない東京での暮らしから、誰一人知り合いのいない土地へ行き、予定より短い期間で終えたわが家の母子留学でした。最終回の今回は、想定外の出来事が多かった中、私たち親子が得たものや変化に関してご紹介したいと思います。
1.物怖じせず、臨機応変に対応する力
「海外では日本のような当たり前は通用しない」ということも、息子たちにとっては、カナダに来て初めて体験したこと。旅行でもそうなのに、まして海外で暮らすとなると、スケジュール通りにいかないことなんて日常茶飯事です。
自分でアクションを起こさなければ、問題が解決できない場面も出てきます。送迎には親が付き添うけれど、学校や習い事の時間になったら自分で何とかするしかありません。時には「NO」と言う事も必要です。息子たちは、自分で分からない事があれば、物怖じせず誰かに聞いたり辞書で調べたりし、臨機応変に対応する力が付いたように感じます。
2.多様性を理解する心
よく耳にする「多様性」という言葉。これも日本で生活していた息子たちには「?」だったと思います。それが「自分ごと」として捉えられるようになったのは、おそらく本人たちが外国人であっても受け入れてもらえる差別のない環境だったからでしょう。
息子曰く、言葉がうまく伝えられない代わりに、周りに優しく接しようとしていたそうです。相手が何を言っているのかを察したり、自分が何かを伝えたい時の必死な想い。それは多感な年ごろの息子たちにとって、相手を思いやる気持ちへと変化しました。
また、カナダ人は幼少期の頃からさまざまな国の留学生や移民の方と過ごす機会が多いからか、英語を母国語としない人に対しての接し方がとても寛大でした。相手の話をゆっくりと聞いてあげる。それもお互いに相手を尊重し、他者との違いを認め合える環境が生んだ「心のゆとり」からくるのかもしれません。
3.英語力
当初はカナダに3年以上は留学をするつもりでした。日本に帰国してからも通用する英語力を息子たちが身に付けるためにも「最低でも2年以上は......」と考えていたからです。
ちなみ我が家は、長男こそ中学校で少し英語に触れていたものの、次男に至っては英数字も20以降はうろ覚えで、質問への回答も自信がなく、ほぼ英語が喋れないところからのスタートでした。
そんな中でも意外だったのは、水泳のレッスンでコーチから理解力があると判断され、水泳を通して英語への自信も付いていったことです。日本に戻った今は、子どもたちが英語に触れる機会をもつため、英会話スクールで日常会話程度の英語力を維持しています。
4.視野の広がり
我が家の母子留学は、そもそも私が「カナダにもう一度住みたい」というバケットリストから実現したものだったため、語学学習を第一条件として行ったわけではありません。そのため、息子たちには「海外生活を体験することで、何かを感じ取ってくれれば」と願っていました。
「何か」の1つが視野の広がりです。それぞれの視野が広がったなぁと感じたのは、自分が育った国を外から見て、さまざまな立場で物事を判断できるようになったこと。カナダと日本を比較し、その国の持つ良い面とそうでない面を考えられるようになった事は、日本だけで過ごしていたらきっと出来なかったでしょう。
5.価値観の変化
長男は、受験もないカナダのセカンダリーに通ったことで、将来の事をみずから考え始めました。次男は、カナダの水泳大会で1位になれたことから、日本でも全国トップを目指したいと思うようになりました。また、2人とも父親と離れて暮らした事でより一層家族を大切に想えるようになりました。
今まで経験した「東京での便利な生活」が当たり前ではないことにも気が付きました。言葉が通じなくても、困っていたら助けてくれる人の温かさに触れたこと。また、ダウンタウンのとある場所では、ドラッグの注射器が道端に落ちている現実も目の当たりにし、子どもながらに周りを警戒して過ごすことも必要なのだと感じた事も大きな収穫です。
6.母である私が得たこと
人生初の「大人は私だけ」という暮らしをカナダで経験したことで、「自分1人でもこんな事もできたんだ」という新たな一面を発見しました。その1つが、カナダでの会社設立です。親子留学だけでなく、不動産購入や留学サポートのための現地雇用といったビジネスをカナダで展開する経験を積むこともできました。40歳を過ぎ、異国の地で右も左も分からない状況下でも、まずは動いてみる事から自分の可能性を広げられたのです。
それに気付けたのは、後にも先にも「自分のやりたいこと」をするために一歩踏み出せたから。今までは妻、母、社会人という三足の草鞋を履き、目の前のタスクをこなすのにいっぱいいっぱい......。私が子どもと海外で過ごすなんて「夢のまた夢」だと感じていました。
留学を実現する前は、やりたい気持ちはあったものの、その話を口に出すのは「私を取り巻く周りの人たちに迷惑をかけるだろうなぁ」と、とても勇気が要ったことを覚えています。けれど、人生は一度きりです。まずは、やってみないと分からない。
この母子留学を通して、本当にやりたいことなら周りは応援してくれるという事にも気付くことができました。
我が家のように、当初の予定とは全く違う結果になったとしても、たとえわずか1年半という海外生活でも、親子共にたくさんの素晴らしい体験や出会い、次に繋がる刺激がありました。息子たちには「大人になってもやりたいことを諦めないで」という姿を少しは伝えられたかな?と思っています。また、「大人でも四苦八苦する必死な姿」を見せられた事も貴重な体験だったと感じています。
我が子の生きる力を育むために、親である私が出来る事。自分を取り巻く世界は本当に自分次第でどうにでも変えられる。こうじゃなきゃいけないなんてルールも、気持ちの制限も、自分の意思で如何様にも工夫できます。
まだ自分も知らない可能性を探して、残りの人生、息子たちにも楽しく生きてもらいたいと思っています。私自身はこれからはまた新しく「やりたい!」と思えるワクワクを探しながら―。
1年間、我が家の母子留学つれづれ日記にお付き合い頂き、どうもありがとうございました。
※現地での留学サポートのお仕事は終了しましたが、親子留学に関するご相談は承っております。お気軽にお問い合わせください。
〈高田さおりさん連載〉
カナダに「教育移住」した私の「母子留学つれづれ日記」