全国2位の快挙で"日本への本帰国"を決断。「母子留学」を終えることにした理由とは?

カナダに「教育移住」した私の「母子留学つれづれ日記」
- 名前
- 高田さおり
- 家族
- 4人家族(14歳と11歳の男の子)
- 所在地
- カナダ・ブリティッシュコロンビア州
- お仕事
- Study & Stay代表
- URL
- Study & Stay Instagram
【カナダに「教育移住」した私の「母子留学つれづれ日記」】
今までいつも側にいたお兄ちゃんが自分の意思で日本に帰ってしまった。
私と2人でカナダに戻ってきた時、次男の口からはうまく言葉で伝えられなかったけれど、彼なりに相当辛かったように思います。今まで一緒に困難を乗り越えてきた仲間を失うような、突然戦友がいなくなってしまった感覚。
お兄ちゃんは自分で違う選択をしたけれど、僕はお母さんとカナダに戻らないといけない。
今振り返ると、突然彼を襲った寂しさや虚しさ、1人で闘う心細い時間を11歳ながらによく乗り越えたな、と思います。私の中でも「この子がカナダに戻った事を後悔しないよう、彼の持っている能力を最大限に引き出して、楽しませてあげたい」という気持ちが一層強くなりました。そのために、息子が得意とする「競泳」で自己肯定感や達成感を感じられるようサポートする事に注力しました。
そして、それは2人でのカナダ生活がスタートして少し経った時のことでした。同じ水泳チームのママに「リョージ(次男)の歯を初めて見たわ!」と言われたのです。すぐには意味が分からなかったのですが、それは「次男がカナダの水泳大会ですごく楽しそうに笑っているのを初めて見た!」という意味だったようです。
大会の待ち時間に、チームメイトにお腹を膨らませたり凹ませたりする独自の腹踊りを見せ、無邪気に戯れる次男。「普段からこうして、彼なりのコミュニケーション方法でチームメイトと楽しくやってるんだ」と、やっている内容はともかく(笑)、安心とともに嬉しかったことを覚えています。
その後、次男は「Swimmingcanada(カナダの水泳連盟)」において、「11歳男子の部50m/100m/200m バタフライ」をすべて制する成績をおさめたのです。また興味本位で「Swimmingusa(アメリカの水泳連盟)」のタイムも調べてみると、なんと11歳男子の1位よりも速いことが判明!
「ってことは、北米大陸で1位じゃない!?」と次男のモチベーションをあげながら、相変わらず外気が11℃の雨天でも屋外プール(一応温水ですが)で行う朝練や、放課後も家に帰宅してすぐプールに向かうといったキツい練習の日々を、「日本の春の全国大会突破タイムを切るまでは休まないように頑張ろう」と、本人と相談しながら乗り切ったのです。
その甲斐あってか、晴れて目標に掲げていた「全国大会突破タイム」を切ることができたため、今年の2月~4月は日本に一時帰国。日本の春の全国大会に出場してみることにしました。結果、その大会でなんと全国2位に! 日本水泳連盟主催の「エリート小学生研修会」という、国内では20人ほどしか参加できないオリンピック選手とのZoomプログラムにも招集されるなど、貴重な体験をすることができました。
そして、この春の一時帰国がきっかけとなり、次男と私も日本へ戻る事を決めたのです。
一番の理由は、「息子が競泳選手として、さらに上を目指すベストな環境はどこか?」と考えたとき、日本とカナダ、両方の水泳チームでの練習を体験し、両国で大会にも出場したことで、その答えが明確になったから。また、今年の春の一時帰国の際に、日本の小学校に編入したことも1つの要因となりました。
日本の小学校で、カナダではなかった低学年のサポートや、日直を含めた「先生から任される役割」を体験し、それが次男には合っていたようです。また、私も授業参観に行く機会がありクラスの様子を見たのですが、ほとんどのお子さんが中学受験まっしぐらで、授業中もピシっとして、とても大人びて見えました。息子もお友達のその変化に驚き、「自分も日本で学びたい」と感じたよう。
余談ですが、この帰国を決めたのはカナダの学校の学費を支払った後の事でした。今年2月の一時帰国までは留学を継続するつもりでいたため、バーナビー市の教育委員会には(毎年1月が次年度の留学更新期限)小切手で支払いを済ませていたのです。2/3は払い戻されましたが1/3は戻ってきません。各市によって支払いのタイミングも異なりますが、留学を検討されている方は、少し気を付けたほうがいいかもしれません。
そんなこんなで、私と次男は2か月間の一時帰国を終え、4月にカナダへ戻りました。そして、現地の学校と水泳クラブに日本への本帰国を決めた旨を伝えたのです。水泳のコーチや学校の先生方、カナダでできたお友達ファミリーが次々に我が家の帰国を惜しむ優しい言葉をかけてくれ、胸が熱くなりました。
こうして、優しい方たちから惜しんでいただく有難い言葉を胸に、我が家の「私がもう一度カナダに住みたい」から始まった波乱万丈な母子留学生活は、いったん幕を閉じることになったのでした。
〈高田さおりさん連載〉
カナダに「教育移住」した私の「母子留学つれづれ日記」