本当の自分らしさを知り、本当の我が子らしさを模索する

モデルSAWAが綴る、自由の中に軸をもったしなやかな育児
- 名前
- SAWA
- 家族
- 4人(12歳と8歳の女の子)
- 所在地
- 東京都
- お仕事
- モデル、TCS認定コーチ、マザーズティーチャー、たいわ室コーチ
- URL1
- SAWA(@sawa_iam)Instagram
- URL2
- SAWA official
【モデルSAWAが綴る、自由の中に軸をもったしなやかな育児】
――いま目の前にいる娘たちだけが、わたしの娘ではない、ということ――
この視点を、意識せずとも大切にできるようになれたかなと、ようやく思えるようになりました。
長女は中学生となり思春期。次女も3年生でギャングエイジ期。
度々お伝えさせていただいております通り、比較的ベースが"受け身"な長女は、感情を上手く出すことが苦手だから?か、我慢強いから?かは分かりませんが、ギャングエイジ期も思春期も変わらず控えめで素直。しかしその長女も、人によっては、「真面目、良い子ぶってる、優等生キャラ、ぶりっ子、優しい、天然、マイペース......」。などと受け取られることもあり、映る姿は"人のフィルターごとに違う"ということ。
一方、感情をありのままに噴き出す次女は、ギャングエイジという集団生活の中でも果敢に向き合っている模様。「容量よく、元気で活発、ズル賢い、天真爛漫、優しい、頼れる、悪ガキ、自由、面白い......」。こちらもまた、"人のフィルターごとに違う"姿だということ。
自分に置き換えてみると、
・モデルとしての自分
・コーチとしての自分
・家の中での自分
・実家での自分
・ママ友と過ごす自分
・心友と過ごす自分
・母としての自分
などなど、どの場面も"同じ自分"だけど、それは決して"同じではない"......。どの自分も意識して変えているわけではなく、"無意識"に演出されていて、その場面場面に応じ何も意識することなく、ただ自分が存在する時間を過ごしていただけかと思います。
そして、どの自分もその場面その時々に嬉しかったり、苦しかったりという時間も、同時に重ねていました。
しかし、どんな場面においても、自分をきちんと認識した上で"自分で選択して過ごす自分"が思うコトと、"他人の軸に合わせて過ごす自分"が思うコトには、とっても大きな違いがあるコトを知りました。
そこを知ってからは、本質的な意味でよく耳にする"自分らしさ"を手にすることができ、そこからは他人の目や評価や意見などに反応するということはなくなり、日々心穏やかに過ごしています。
それは長年モデルという仕事において、どうしても"評価"が付き纏う私にとっては、本当に大きな収穫でした。
そうした1つ1つのコトを丁寧に受け止めて、意識して過ごせるようになれたことから、娘たちのことも"目の前にいる娘たちだけが自分の娘ではない"というふうに見れるようになったんだと思います。
振り返れば、姉妹のことを分かっているつもりでいながらも、気づけばどこか自分の理想をそれぞれに押しつけてしまったり、自分のフィルターで見て決めつけてしまったり。イライラしたりヤキモキしたり...。そして、そんな自分に自分で疲れてしまっている、という現実に気づけていませんでした。
例えば、姉妹に共通する 『優しい子』。
この"言葉"のシャワーは、娘たちを嬉しくも苦しくもさせるのです。その違いは色々あるのでしょうが...
そこで今わたしが娘たちに対して大切にしているコトが、この子は"こういう子"として決めつけず、色んな娘たちがいると思うこと。また同じように娘たちの友達に対しても、"あの子は◯◯な子"として決めつけずにフラットに向き合うこと。そうすることで、娘たちからも知らず知らず友達に対する向き合い方や物事に対する捉え方に、少しずつ変化が感じられています。
1つとして、自分と違う価値観を持つお友達や誰かに対して、批判したり、決めつけたりということが少なくなり、それによって争いごとや揉めごとが軽減されるのです。ある程度、心地よい距離感というのを取ることが出来るようになり、"大切な人を大切にできる"ということにも繋がっている...ように思います。
「あの子はこうだけど、こういうところもある」で、終わるのではなく、「◯◯ちゃんがそうなっちゃってるのは、何でなんだろうね?」と、問うてみること。その問いから先への広がりは少しだとしても、それまでとは違う世界へ繋がっている、そう感じています。
しかし、わたし...今となっては何をもってあれほど、「〜は、こうだから、こうでしょ!」とか、「〜だから、〜なんだよ!」などとあんなにも言い切れていたんでしょう?
ほんとに可笑しくて、恥ずかしいですよね。
〈SAWAさん連載〉
モデルSAWAが綴る、自由の中に軸をもったしなやかな育児