子育てを通して蘇る記憶を、未来の育児に生かすこと
モデルSAWAが綴る、自由の中に軸をもったしなやかな育児
- 名前
- SAWA
- 家族
- 4人(12歳と8歳の女の子)
- 所在地
- 東京都
- お仕事
- モデル、TCS認定コーチ、マザーズティーチャー、たいわ室コーチ
- URL1
- SAWA(@sawa_iam)Instagram
- URL2
- SAWA official
【モデルSAWAが綴る、自由の中に軸をもったしなやかな育児】
ふたりの姉妹の育児をしていると、面白いもので、自分自身の幼少期が蘇ってくることがこれまでも幾度となくありました。
子ども達がまだ幼稚園の頃のお弁当作りでは、自分の幼稚園の時のお弁当の記憶が蘇ったり。参観日や運動会でも、自分の幼稚園や小学生の頃が蘇り......。子育てをするまでは、子どもの頃の記憶が思い起こるのは、たいてい中高生以降の10代後半のことばかりでしたので、とても不思議な気持ちです。
わたし自身の子ども時代を振り返ったときまず蘇ることは、母親に何もしてもらえなかったということ。長女と末っ子長男に挟まれて育った私は、母親に甘えたという記憶があまりなく、今も強く残像として残るのは、姉だけを連れて外出する母親を、幾度となく泣きながら裸足で追いかけていくシーン。それは、今でも鮮明に記憶の片隅にあります。母は決して悪意があったのではなく、私の事を3人の中で単純に手がかからない子、そして何でも自分でできる子、ととらえていたからだと思います。
そして、もうひとつ。私が実家を離れて暮らすまでは、一緒に暮らす2つ上の姉から何故かずっと「来るな。キモい。とろい。何やねん」と、とにかく毎日毎日何かしらの罵声のシャワーを浴びていたのです。黙って勉強している時でさえ、「私の前で勉強すんなボケー!」と、教科書ごと投げ捨てられるなんてことも、しばしば。子ども時代のそんな出来事は、一体何だったんでしょうか?(笑)。初孫で蝶よ花よと育てらえた姉にとって、2つ離れた妹が突然現れたショックが余りにも大き過ぎたのでしょうか?
そんな幼少期も影響してか、意識的に自分の表情を気にしていないと、無表情で何か考えているように見えてしまう私......。その表情は、怒っていなくても、側にいる人たちに気を遣わせていることもあるのだと気づけました。そんなところにも、あの頃の姉との関わりが、わたしのアイデンティティに大きく影響しているひとつだと、ようやく気づけたのも子育てを通してです。
子どもだった私は、ただお母さんにかまってもらいたい、お母さんに甘えたい、話したい......という気持ちでした。それは、子どもならではの母親への承認で、それを達成したくて、頑張って勉強したり、お手伝いしたりと、かまってもらうためにきっと良い子を演じていたのだと思います。
しかし、今となって思うのは、私のすべての行動が結果として、「この子は一人でも大丈夫!」という位置付けを生んでしまい、我ながら何とも本末転倒といいますか、甘えられる状況をより遠ざけてしまうという、大きなコミュニケーションエラーという溝が母親との間に生まれていたと思うのです。
このようなことに向き合えたのも、コーチングに出会って良かったと思えることのひとつです。私の黒歴史的な幼少期が蘇ったからこそ、我が家の姉妹の関係性にきちんと注目ができるのです。姉妹に対する関わりをできるだけ丁寧に、そしてどちらの想いも置いてけぼりにしない......、をモットーにした子育てを目指せているのかもしれません。
だからなのか、不思議なことに思春期の長女は、反抗期とは真逆で、これまで以上に素直に自分の感情を言葉にできるようになり「ママ、ママ」と仔犬のように甘えてきています。ホルモンちゃんでイライラしちゃう時もあり、自分自身で「思春期」と言っていますが、それでも今まで自分の感情よりも、他人の想いや周りの空気を大切にしてきた彼女にとって、自分の気持ちを素直に言葉にしたり、行動したりできていることは、ひとつの大きな成長でもあるのかなと感じます。そして、その関係性を築けたのは、長女に対する決めつけや思い込みを持つことなくフラットに向き合い、余計な先回りをしなくなったからなのだと思えています。
これぞもしや、自己肯定感のアップの現れか?(笑)
私は自身の幼少期の体験から、長女にも次女にも、どちらにも淋しい気持ちや、置いてけぼりにされているような孤独感を味わせたくないという強い想いがあるんでしょうね。けど、それが実際に彼女達には、どんな風に感じられていて、それで本当に満たされているのか? もしかして、これは私の自己満足じゃない? って状況にしないためにも、さりげなく娘たちにやんわりと聞いてみることにします。
"育児を通して蘇る記憶"、皆さんには、あったりしましたか?
〈SAWAさん連載〉
モデルSAWAが綴る、自由の中に軸をもったしなやかな育児