「子どもだから、大人だから」。成長過程に必要な声がけは、 本当に思いやり!?

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モデルSAWAが綴る、自由の中に軸をもったしなやかな育児

名前
SAWA
家族
4人(12歳と8歳の女の子)
所在地
東京都
お仕事
モデル、TCS認定コーチ、マザーズティーチャー、たいわ室コーチ
URL1
SAWA(@sawa_iam)Instagram
URL2
SAWA official

モデルSAWAが綴る、自由の中に軸をもったしなやかな育児

『まだこどもだから』とか『こども達のことだから』とか『まだ分からない年齢だから...』とか、聞いたり言ったりした経験ありませんか?

わたしはそのフレーズを聞くたび「なんだ?それ...」って、頭の中でハテナが渦巻くのです。「その言葉の裏には、一体どういう想いが潜んでいて、それによってその人は何を守り、誰を守っているんだろう?」と...そうしたコトが子ども達にまつわる環境の中、今まで時折りありました。そして、その都度自分の中で滲み出る違和感こそが『そのフレーズによって守られているものがあるとしたら?それは何?』というコト。

もしかすると、そこで守りたいもの。それは、ご自身の子ども?もう少し深掘りしてみると"子ども"というフレーズを通して、本当に守っているのは、貴方自身なのでは?そこには、『自分さえ良ければいい。または、我が子さえ良ければいい』という思考が潜んでいるのではないか?と感じてしまうからです。そういう私も、他所さまから見ると同じように映ってしまう時はあるかもしれません。

例えばもし、自分の知らない"ブラックな我が子"に出会ってしまったとしたら、咄嗟に私たちは、どう思い、どう感じ、どう行動するのでしょう?

『え!まさか"我が子が意地悪"だなんて!』思いたくない?見られたくない?見たくない?そして、その事実を隠そうとしたり、見てみないふりをしてしまう?だとしたら、それはどんな感情からなのでしょう?または、その場で『あちゃー』ときちんと受け止め目を逸らさず、それはイケナイことだと、我が子が分かるまで、説明し伝えみる?

このどちらかが、正解とか不正解ではなく、この2通りの関わり合いの先に、子どもたちに違いが生じるとしたら?それはどんな違いでしょう?このような場面でこそ耳にするのが、冒頭のフレーズだったり...。

わたしの子ども時代を振り返ってみると、大人こそ差別し、ジャッジし、嘘つきで、ズルイ...と、子どもの自分には、大人の世界がそのように写っていました。『"ナゼ?"自分がそう思っていたのか?』という問いを、大人になった自分自身に向けてみると、見えてきたのが...あの時の私が抱いていた感情の裏には、必ず自分の考えや想いや意志があったということ。なのに、その想いに丁寧に目を向けてくれる大人はいなかった。加えて、大人に勝手に決めつけられ、その思い込みから出る言葉を浴びせられてしまい、大切な私の思いや意志は封じられ、かき消されてしまっていた...と気がついたのです。

だからこそ私は、日常の些細な場面でも、子ども達が発する言葉や問いかけには、できる限り意識し関わっていたいと心がけています。とは言え娘たちからすると、それほど理解ある大人か?というと、必ずしもそうじゃないかもしれませんが...。

そして、もう一つ心かげているコト。それは、子ども達に接するとき彼女たちを『子どもとして捉え扱うのではなく".イチ人間"として捉え向き合う』ということ。そうすることで、我が子にきちんと良し悪しを伝える場面において、変な風に我が子を守ってしまうことを避けられる?のではと思っているからです。

そうすると、大人だからとか子どもだからとかというフレーズは、私にとって子どもたちとの関わり合いにおいて、何の"効果"も"意味"もなく、もしかすると、それは大人にとっての"都合の良い言い訳"になってくるのではないか?と思うと同時に反面、違う見方をすると「1人の人間として扱うということ」が、彼女たちにとって、本当に良いのか?と感じるところもあるというのも正直な気持ちです。そう感じるのは、娘たちに共通して言われるコトバからです。

『〇〇ちゃんは、同じ月齢の子ども達よりも、凄く繊細で大人な感覚があるよね。あの年で、あれだけ色んな空気を感じられるのって、同じ年の子ども達には難しいわよ。本当に優しいよね。正義感があるのよ。普通は分からないわよ。』など、長女や次女のママ友や先生たちから耳にするコトバ。これらは、彼女たちの本意ではないかも知れず、どちらかと言えば、その繊細な感覚や優しさで、同じ月齢のお友達よりも我慢している場面や、それによって時に苦しんだり、傷ついたり、悲しんだりしている...ということも感じることがあるだけに、親としては胸が苦しくなることもあるからです。

そこには、私が彼女たちを子ども扱いしていないことが、多少なりとも影響しているのかもしれませんが、それはわたしの中に大きくある『自分さえ良ければいい』という思考に対しての強い抵抗と反発があり、その捉え方や意識がこの先どこかで変わらない限り難しいことかもなーと感じている今日この頃。

『子どもだから、大人だから』
このフレーズ、皆さんは、どんな時に、そう思ったり、どんな場面で口にしたりしていそうですか?

〈SAWAさん連載〉
モデルSAWAが綴る、自由の中に軸をもったしなやかな育児

       
  • 稲刈り

  • 月夜

  • 稲刈り

          
  • 文化祭

  • 課題

  • キッザニア東京

  • 長女は稲刈り。次女は虫捕り。母の背中は、虫まみれ(笑)。

  • 稲刈りの帰り道。この日は、美しい満月でした。

  • 6月の田植えに引き続き、契約しているみんなで仲良く稲刈り。秋晴れの下の労働、気持ち良かったー。

  • 文化祭での次女の作品。1年〜6年生全校生徒に誕生日のアンケート。集計では、月別に色分けしたシールを貼り、何曜日生まれが1番多いかを割出していました。絵本は、オススメ本を紹介してました。

  • 長女の課題。2週間ほどかけて乾燥させ、制作していた草花の標本。根っこまでキレイ。w

  • 次女、ねぇねの付き添いではなく、初めて自分のお友達と行けたキッザニアは、また違ったようで、すっごく嬉しそうでした。