大切な家族との永遠の別れから、サランが身をもって学んだこと
モデルSHIHOが奮闘、日本・韓国・ハワイが舞台の子育て
- 名前
- SHIHO
- 家族
- 3人家族(夫、11歳の女の子)、ミニチュアダックスのキョロ
- 所在地
- 東京都
- お仕事
- モデル、ウェルネスアドボケート
- URL1
- SHIHO(@shiho_style)Instagram
- URL2
- Shiho Style
【モデルSHIHOが奮闘、日本・韓国・ハワイが舞台の子育て】
家族との突然の別れ。できることなら経験したくないような出来事が、先月、私たちのもとに突然降り掛かりました。
サランにとって初めて目の当たりにする祖父の死。姿が変わってしまった祖父と対面した時のサランは、「ハラボジ(韓国語でおじいちゃん)、いなくなっちゃったの?」と愕然の一言。明らかに、そこには私たちの知る祖父はいなくて、突きつけられた現実への悲しみとショックに、主人や私はもちろん、サランは首がしなだれるほど泣き尽くしていました。
そこからお通夜と葬儀までの数日間、サランは「ハラボジのそばにいたい」と学校を休み、大阪の実家でパパと一緒に片時も祖父から離れることなく寄り添っていました。さらに、悲しみを紛らわすかのように、その場で自分がやれることすべてに向き合い、行動し尽くしていました。
例えば、彼女のアイデアで、"ハラボジへ"と書いた大きなボードに、家族や友人、会社スタッフなど、みんなのメッセージを寄せられるボードを作ったり。パパがお通夜で「一緒にいてもっと話したかったことや、教えてほしかったことがまだあった...」と話すと、横たわるハラボジのところへすぐに行き、伝えたくて伝えられてなかったことや、たくさんの思い出すべてを、泣きながら大声で伝えていました。
「これを伝えられなくてごめんなさい」
「あの時は、こうしてくれてありがとう」
「あの時は、一緒にこれができて嬉しかったよ」
「あの時は、これが楽しかったよ」
「ありがとう」
「大好きです」
パパの想いを汲み取るように即座に行動していた彼女の姿を見て、「サランは本当に優しい...」と、主人は感動しきりでした。
また、遺品整理にも積極的に参加し、祖父の遺品を片っ端から探していました。主人は自分の祖父が亡くなった時、祖父の免許証を大事に保管していましたが、サランもハラボジの証明写真を見つけ、自分の携帯とケースの間に挟み、肌身離さず持ち歩くようになったり。
趣味や荷物が多く、いろんな物を集めてしまうハラボジの部屋は、ミラーやサングラス、ぬいぐるみ、お菓子のおまけや、おもちゃに至るまで、どう見ても一人孫のサランのためににとっておいてくれていたものや、サランが喜びそうなものがたくさん置いてあり、それを受け取るかのように彼女はすべてトランクに詰め込んでいました。
最後のお別れとなった葬儀でも思った以上に泣き通しだったけれど、もう会えない悲しさと、生前にできなかったことへの悔しさや後悔を埋め尽くすように、この数日間は、気づいたことに全力で向き合っていた姿勢や行動力は、彼女のハラボジに対する愛と優しさが表れていました。
「いつでも会える」、「いつでも話せる」。そんなことを思っていた人が、突然いなくなるという現実。
いまだに、ふとした時にハラボジを思い出し、突然泣き出すこともありますが、「人はいつか死ぬ」という現実を知ったこと。そして、命の時間は限られていて、その大切さを知れたことは、11歳のサランにとって大きな経験だったと思います。そのすべてを素直に受け止めたのか、この葬儀をきっかけに、自分の思ったことやりたいと感じたことは、すぐに行動に移すように変わりました。
「ママ、お部屋をこんなふうに変えたいのだけど」
「これをこうしたいんだけど」
何事も受け身だった彼女が、最近は積極的にアイデアを出したり、自分のしたいことを形にするよう提案してくるようになりました。そんなサランの姿を見た主人も、言われたことやしたいことに対して行動に移すスピードや向き合い方が前よりも変わってきたと感じているよう。
悲しみや後悔を引きずることなく気持ちを切り替えて、今、全力でやれることに向き合い、やり尽くす。やり尽くしたら、ポジティブなエネルギーで、再び全力で目の前のことに向き合う。
悲しみを抱えながらも、義父との思い出や残してくれた精神や生き方を、これからも家族それぞれが大切にしながら、軽やかに前を向き進んでいきたいです。
〈SHIHOさん連載〉
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