お母さんの幸せが子どもに受け継がれて。個性が繋ぐ、幸せの連鎖。

Choice

「子どもの好き」が最大のモチベーション!な国際派子育て

名前
佐久間麗安 / Rena Sakuma
家族
4人 (11歳男の子と9歳女の子)
所在地
東京都
お仕事
Bright Choice編集長
URL
Rena Sakuma (@renanarena0513) Instagram

「子どもの好き」が最大のモチベーション!な国際派子育て

幸せそうに、母はいったものです。
"On weekends, I would just sit at the dining table as Daddy cooks for me."
「週末はね、パパが私のために料理をしてくれる傍ら、ダイニングでただのんびりしたものよ。」
片付けが苦手な父でしたが、週末は母に代わって食事を用意してくれました。

異国の地で、4人姉弟を育てたアメリカ人の母。
長女であった私は、母の苦労を目の当たりにするのが日常でした。

東京ディズニーランドに入園してすぐの、バザールのアーケードに入ると、祖国アメリカと全く変わらないその様相を目にした母が、思わず涙していたのをよく覚えています。母は常にホームシックでした。
キッチンで一人泣くこともしばしば。決して子どもの前で強がることのなかった母は、私たちから涙を隠さない、正直な人でした。

ですが、母は最期まで幸せそうでした。

30年も経てば、日本の生活にも慣れて、和食を愛し、日本人のおもてなしにも"甘やかされ"、アメリカに帰国するたび、「サービスが悪いわ」なんて、いうのでした。
草間彌生のファンで、父との直島への旅はとても良い思い出となったようです。私たち姉弟が自立した後は、好きなアートやインテリアを取り入れて、家のリノベーションを楽しみ、とにかく日本ライフを満喫していました。

母が幸せでいられたのは、自分で人生を決める人だからでした。
「日本人の父と日本で生きる」
自分の決断が、慣れない日本で逞しく生きる糧になっているようでした。
そして、父はいつも母の一番の味方でした。

"I love you the same way."
「(仕事を辞めても)僕の愛は変わらないよ」
日本でインターナショナルスクールの教師だった母が2人目の出産を機に退職を決めた際に、父にいわれた言葉だそうです。私が仕事と子育ての両立がしんどくて母に相談した時に、初めて教えてくれました。
もうそうやって母に相談することはありません。

母親というものは、家族の中で孤独に陥りやすいものです。
子育ては思うようにいかないことばかりですから、どうしても自分のことが後回しになってしまって、いつの間にか自分の居場所なくなってしまう、ということなのでしょうか。お母さんは、"我慢が仕事"といってもいい。コロナ禍で、そんな風にふさぎ込むお母さんたちが増えているのではないかと想像します。

お母さんになる前のあなたはどんな人でしたか?
お母さんはお母さんである前に、個性豊かな一人の人間であるはずです。しかし、無意識のうちに自分でも自分を忘れてしまうほどに、母親であることの責任の重圧は大きいものです。

家族のことを一番に考えるがゆえに自分を見失う、家族との時間が一番長いのにどこか寂しい、というジレンマが、「子育て」を「孤育て」にする所以なのでしょう。

私は、そんなジレンマに陥りそうになるたびに、懸命になって幼小の頃の記憶を掘り起こして、母の人生のことを思い返します。私なんかよりもずっと厳しく、慣れない環境で、それも4人も子育てした母が、ときに涙を見せることがあっても、寂しそうにしたことがあまりないのは、きっと自分の人生にオーナーシップを持っていたからであり、父という理解者がいたからなのだと思います。

長い年月をかけてホームシックも克服し、いつしか逆境であったはずの日本が彼女の生きる場所になったくらいですから。

晩年、パッションを持って働ける仕事に出会った母は、病気と闘いながらも、最後の最後まで、身体が動かなくなるまで貢献しました。まだ1歳だった孫の保育園のお迎えのルーティンも続け、身体が痛くても孫を抱っこする時間を楽しみました。最後、もうギリギリになったときには、父が送迎をして移動を手伝い、仕事を引き継いで、母は生を全うしました。

「ママは本当に頑固」という父の口癖に、母は "Stubborn is good (頑固はいいこと)" と返す。
そうして、父が「そうだね」と認めざるを得ない流れに落とし込まれるのがお決まりのパターンでした。

そんな母を見て育った私は幸せです。

頑固、stubbornとは、いいかえれば、お母さんが個性をもって生き生きしているということ。
個性とは、どんな逆境でも自分の居場所にする力であり、どんな場面でも幸せになる力なのです。

「鬼嫁」なんて言葉がありますが、そうやってお母さんの個性をつぶしにかかる日本の社会は女性にとても不親切だと思いませんか。そんな生きづらい社会で、世のお母さん達が自分の生き方を全うするには、人一倍「頑固」でないといけないのかもしれません。そうすれば、自然と家族も味方になって、一緒に生き生きするようになると思うのです。

古い記憶を掘り起こすたび、母が幸せであったことを確かめながら、生死を超えて、母の「頑固」が自分の幸せだということを改めて確信し、自分の子どもにも繋いでいきたいと思うのです。

そんな芯のある女性でありたいと思います。

〈佐久間麗安連載〉
「子どもの好き」が最大のモチベーション!な国際派子育て

       
  • “母になる前"の、母。

  • 母と生まれたばかりの私。

  • 内藤朝美さんは、私の理想のお母さん像。

          
  • 私にとって、子どもはいつだって主人公だった。

  • 自分を大切にするのは自分!

  • 父は母の学生時代の写真を大切にしています。当時の母は日本語を話さなかったし、日本がどんな国なのかも知りませんでした。私たちの知らない母は確かに父の中に生きていて、私の心の中でも不思議と存在感が増してきているように思います。

  • 私が生まれた当時はとても戸惑ったそうです。母親である期間が人生を占める割合が増えるにつれて、子どもを優先することに慣れてしまうけど、誰しも子ども中心の生活に戸惑った記憶があるはず。いつの間にか心の隅っこに押しやられてしまったそんな自分を忘れずに、もっと大切にしたいです。

  • 「子育ては大変だったけど、私の時間だった」と、ブライトチョイスのコラムで語った朝美さん。子どもと一緒に経験することに、たくさん幸せを見出せますものね。子どもとの幸せ、自分だけの幸せの双方を分かってらっしゃる朝美さんのようになれたら、もっと笑顔になれるはず!

  • プリスクール時代の発表会での写真です。私の中で子どもの存在というものは大きすぎるほど。子どもは舞台の主人公であり、私は裏方。子どもの小さいうちは、そんな感覚で子育てしていたかも。でも、子どもも大きくなってきて、少しずつ変わりつつあります。

  • 運動する時間の確保さえ難しい日常ですが、自分のことは自分にしかケアできません。面倒くさがらないで、自分を大切にする時間を作らないと、と思っています。夏休みはつい自分時間がなくなって、疲弊しました()。さ、頑張って取り戻さないと。