男の子だから?女の子だから?選択肢はもっと自由でいい。

Choice

「わたしはわたし」自尊心を育む子育て

名前
浅倉利衣 / Rie Asakura
家族
4人 (7歳と5歳の女の子)
所在地
東京都
お仕事
ライフスタイルプロデューサー
URL
Rie Asakura (@rie_asakura) Instagram

お正月に家族でスキーに行った際、とあるバイキングにランチに行きました。
そこにはおもちゃをもらえるコーナーがあり、籠には「おんなの子」と「おとこの子」と書かれた紙がくくられていました。
次女と私は、ある女の子と彼女のパパの後ろに並び、その女の子が選ぶのを見ていました。
その子が「おとこの子」の籠の方に手を伸ばした瞬間、パパが「◯◯ちゃんはこっちから選ぶんだよ」と言いました。
彼女は言われた通りに「おんなの子」の籠から1つ選び、私たちに順番を譲ってくれましたが、たぶん紫色が好きだったのでしょう、その後も自分が選んだガチャガチャと籠を交互に見ながら名残惜しそうに、同じ女の子である次女がどれを選ぶかを見ていました。

次女は、ひらがなが読めるようになってきたので、漢字の「子」が読めなくても、「おんな」と「おとこ」に分けられているのを理解しました。
「ママ、こっちからえらぶ?」と「おんなの子」の方を指差しました。
私は、「好きな方、どっちからでもいいよ」と言いました。
「でも、こっちはおとこだよ」と次女。
「それはお店の人がそう分けただけだから、好きなものを選んで大丈夫だよ」と私。
「わかった!」と嬉しそうに言って、大好きな紫色のガチャガチャを手に取りました。

横で見ていた女の子は、パパの顔を見ています。パパは私たちから目をそらしています(笑)
でも、そのパパは、彼女がまた選び直そうと籠に向かうのを止めようとはしませんでした。

ジェンダーが関わる日常での選択肢。私は小さい頃からずっと疑問を抱いています。

私が小学生の時、その当時住んでいる地域で週末のアクティビティがありました。
「おとこの子」はソフトボール、「おんなの子」はドッヂボールと決められていて、ソフトボールをする女の子もドッヂボールをする男の子も1人もいませんでした。そして野球が大好きな弟はソフトボール、父はソフトボールのコーチをしていました。私はというと、父と弟と一緒にソフトボールがやりたかったし、そもそもドッヂボールに興味がありませんでした。母だったり伯母だったり、周りの大人の影響もあり、みんなが同じことをしていると真逆のことをしたくなるという気質もありました(笑)

だから父親に言いました。「私はソフトボールがやりたい」。
父親は、「でもりえちゃん、ソフトボールをやっている女の子は他にいないよ」というようなことを言いました。
でも私は食い下がります。「だから?」「なんでそんなふうに決まってるの?」「なんでやりたいことをやっちゃいけないの?」と質問攻撃。
そこに母親が、「いいじゃない、ソフトボールをやったって」と加勢してくれました。
父も最初は私がソフトボールをやることに難色を示していたとはいえ、私が決めたことに反対はせずずっと見守ってくれる性格なので、ソフトボールの他のコーチや監督に頼んでくれました。で、めでたくソフトボールチーム部の一員に。
子どもは悪気なく「女なのになんでいるんだよ〜」と最初はからかうものですが、当時「なめんなよ」と言う『なめ猫』のキャラクターが流行っていた時期で、負けん気が強かった私は、「なめんなよ」という気持ちで練習しまくっていました(笑) 足も速く走塁も得意だったので、次第に男の子達は何も言わなくなりました(笑)

あの時加勢してくれた母は、当時ではまだ珍しい「バリバリ働くママ」。
「男が仕事をして、女は家で家事育児をしなければならない」という固定観念が母にはなかったですし、それは私にも影響を及ぼしました。

また、生まれた時からずっと第2の母親のように可愛がってくれた今は亡き伯母も、ジェンダーに対する偏見にいつも疑問を抱いていた人でした。文化服装学院という専門学校の教壇に立っていた伯母は、例えば女性の服がたまらなく好きな男子生徒、同性同士の恋愛があっても、好きなんだからいいじゃない、何がいけないの?とサラッと言うような人。

だから、男はこう、女はこう、というステレオタイプの決めつけが私の中になかったし、男の子がいわゆる女の子が興味を持つようなことをしていても、それが変だとも思いませんでした。昔に比べると、LGBTQ+と呼ばれる方々への理解も深まっているように見えますが、私は昔からなぜ同じ人間同士なのに色々禁止されなければいけないのか全く理解できませんでした。

例えば性別に関する無意識な偏見や差別、それが社会の根強い固定観念だったり、親を含め周りの大人たちが「男の子はこうするもの」「女の子はこうするもの」と思いこんで教えてきたことからくるならば、もう一度その些細な当たり前を疑って、各々の意識で見直してみてもいいですよね?例えば「男の子なんだから男の子のものを選ぼう」と言われたら、子どもながらに「ぼくは女の子のものを選んじゃいけないんだ、それはおかしいことなんだ」とインプットしてしまうんではないかなと思うのです。大人に何気なく言われてきたことやどう接してもらったかって、本当に多大な影響を及ぼすなと実感します。

冒頭で触れたおもちゃの一例においても、普段の生活の中での些細な選択肢にそういった「アンコンシャス・バイアス」は存在していて、無意識のうちに容認している機会はまだまだたくさん潜んでいると思います。そして全く悪気なくまた次の世代に伝えていく。

これは誰かが悪いという話ではないんですよね、ただ今まで無意識に受け継がれてきただけで。でももう、選ぶ基準は、「それが好きだから」。それでいいと思うし、私は今後もそういうスタンスでいたいなと思います。子どもが本当に好きなもの、興味を惹かれているものを選ぶという行為を尊重することが、子ども達が将来自然に相互理解できるようになったり、多様性の理解にも繋がるのではないかなとも思っています。

「教育」という文字を目にすると、何か壮大なものをイメージしがちですが、実は普段の生活の中にこそ、学びや成長の機会はあるのかもしれません。子育てしながら貴重な学びの機会を与えてもらっているのは私たち大人なのかもしれないですね。そう考えると、感謝、感謝です。(と書きながら横でギャーギャー繰り広げられている姉妹の喧嘩にマジでキレそう5秒前)

〈浅倉利衣さん連載〉
「わたしはわたし」自尊心を育む子育て

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※ その他、女の子育児、ジェンダーに関する記事はこちらより。
#女の子
#ジェンダー

       
  • みんな違ってそれがいい。個性的万歳。

  • 選ぶ基準は、「それが好きだから」。

  • 娘達のダディーへの愛情表現シリーズ。

          
  • 家庭菜園小松菜シリーズ。

  • 食べることの向こう側。

   
  • 今は亡き伯母の著書の一説。「臆病にならないこと。みんなが真似をしはじめたら潔く、捨て去る勇気。個性はそこから」。文化服装学院で教壇に立ち、アトリエ染花というコサージュのブランドを創業した伯母は、先鋭的で出る杭ウェルカムみたいな人でした。私に多大な影響をもたらした1人。

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  • 本文で触れた、バイキングのおもちゃコーナー。紫の方が「おとこの子」用おもちゃですが、そもそも紫色が好きな次女はそんなことお構いもなく紫色に目がロックオン。それでいい。

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  • スキー場で雪遊びをしていたら、娘達がハート型のスノーボールを作ってダディーにプレゼント。もちろん娘達を叱る時もありますが、常にメロメロ。娘達に恋人できたらどうなるのかな(笑)

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  • コンポストでできた堆肥を混ぜた土に種を植えたのが11月初旬。こんなに生き生きと元気に育ちました。土、太陽、水、風、微生物、、目に見えないものの支え合いや繋がりに、改めて感動と感謝の気持ちが募る日々。

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  • 「食べられることに感謝しなさい」と口で言ったところで子どもはピンとこないですよね。それよりも、どんな風にその食材は育ち、どんな風に料理をするのか。食卓に並ぶまでの全てのプロセスを見せ、体験させてあげることが一番だなと、私も体験をもってわかりました。

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