2歳半からの英才教育...私を救った「恩師の言葉」と「母の教え」

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「ピアノで学ぶ」アート教育論③

名前
武村 八重子
お仕事
ピアニスト&作曲家
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武村 八重子 プロフィール
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Official Instagram(@piano_yae)
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Otokana (武村メソッドレッスン)
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MuTiA (武村八重子プロデュース若手演奏家育成プロジェクト)

「子どもには憧れる力がある」ピアニスト武村八重子さんのアート教育論

子どもの心を育む情操教育に関心が集まる昨今、ブライトチョイス会員読者からも、「個性を伸ばす教育のあり方について知りたい」との声が多く寄せられています。

情操教育の代表格ともいえる音楽教育のなかでも人気のピアノレッスンは、音楽的感性を養い、演奏のスキルを身に付ける、といった目的にとどまらず、国際社会での活躍が期待される現代の子どもたちにとって「必要最低限のライフスキル」だとも言えるのです。また、ひとつの物事をとことん極める経験が子どもたちにもたらすメリットも、けっして小さくはないはずです。

そこで今回は、情操教育の重要性を説きながら、オリジナルのピアノレッスン「武村メソッド」を主催されているピアニスト・武村八重子さんに、ピアノとの出会いやその後の葛藤など、その半生を伺っていきます。

お母さまの勧めで、2歳半からピアノのレッスンを行っていたという武村さん。その後、国立音楽大学付属音楽高等学校の音楽科に進み、同大学ピアノ科を卒業。日本大学芸術学部音楽科博士前期課程を修了し、ウィーン国立音楽大学ディプロマを取得されます。また、2005年には、オーストリアで開催された「第21回ショパン国際フェスティバル」で世界6人のソリストに選ばれる快挙も遂げられます。

「2歳半でピアノを始め、5歳からは国立音楽大学の教授に習っていました。かなりの英才教育のように聞こえるかもしれませんが、母は私をピアニストにさせたかったわけではありません。自身が茶道家だったこともあり、『娘にも、一生の心の拠り所になるような、何かしらの一芸を』と思っていたようです」(武村さん、以下同)

音楽には男女の垣根がなく、完全に実力主義の世界であることも、お母さまが娘にピアノを勧めた理由の1つだったそうです。その後、努力を重ね、輝かしい実績を残す世界的ピアニストへと成長を遂げる武村さんですが、それまでの道のりがすべて順調だったわけではありません。

「ピアノのレッスンから離れたくなったことも何度もありました。物心ついた頃から、お友達と遊ぶ時間はほとんどなく、球技やウィンタースポーツなど指にケガを負うリスクのあることも禁じられていました。おかげで学校では『なんだか変わっている子』という目で見られ、いじめにあったこともあります」

小学校4年の頃には、同級生からのいじめに耐え兼ね「学校に行きたくない」と、お母さまに打ち明けたこともあったそう。

「そしたら母は、私にこう言ったんです。『あら、よかったじゃない。人をいじめる人間は相手をひがんでやっているのよ。そうならないように、人をひがむ人間の醜い顔をよく見ておきなさい。そして、あなたは人のことをひがむ人間ではなく、ひがまれる人間でいなさい』って」

母は娘に「世界は広く、今、目の前にある世界がすべてではない」ことを伝えます。「今は辛いかもしれないけれど、10年後、20年後に見返すことのできる人間になればいい」とも。その言葉を励みに、武村さんは学校に通い続けることができたのです。

またあるときには、恩師の一言が迷える彼女を救ったこともありました。

「勉強も嫌いではなかったので、音楽専門の学校への進学を迷っていた時期がありました。ある意味で潰しの効かない道を選んでしまって、本当に後悔しないのかなって......。そのことを、当時、通っていた塾の国語の先生に相談したことがありました」

武村さんは、「私は、井の中の蛙になりたくない」と恩師に打ち明けます。

「すると先生は、『その言葉には続きがあることを知っていますか?』とおっしゃったのです。『井の中の蛙、大海を知らず。されど空の青さを知る』と続くのだと。たしかに蛙は狭い世界にいるかもしれない。けれど、井戸から見上げた空の青さや雲の繊細な動きを誰よりも知っているのだと、教えてくれました」

ひとつの物事を極めた人間にしか見えない物事の奥深さや美しさもある。「だから武村は音楽学校に行くべきだ」との恩師の言葉に背中を押され、武村さんは迷いを振り切ることができたのです。

次回は、武村さんがレッスンで大切にしている教育論に関して伺っていきます。


〈連載概要〉
「子どもには憧れる力がある」ピアニスト武村八重子さんのアート教育論
第1回:開成中学校でも実践される「ピアノレッスン」 のメリットとは?
第2回:国際バカロレアでも必須! アート教育は「世界で活躍するための素養」
第3回:2歳半からの英才教育... 私を救った「恩師の言葉」と「母の教え」(本記事)
第4回:ピアノが嫌いでもいい! 「憧れ」が最大のモチベーション
第5回:感性を育てる情操教育で「個性を武器」に 世界を見据える

〈関連記事〉アートで広がる子どもの未来!音楽教育が子どもたちにもたらす効果とは?

       
  • ピアノを始めた幼少期

  • 塾の国語の先生と

  • 大学修了時の演奏会

          
  • 母と九州1周の列車旅「ななつ星」に乗車

  • ピアノのレッスンを開始したのは2歳半の頃。最初は手習い程度のレッスンで、当時からピアニストを目指しての猛練習だったわけではありません。

  • 音楽科への進学を悩んでいたときに、ひとつの事を極めた人間にしか見えない物事の奥深さもあることを教えて下さり、背中を押してくれた恩師です。

  • 国立音楽大学ピアノ科の卒業演奏会での1枚。実は当時、大学院への進学を決め、ますます狭い世界へと進んでいく不安の方が大きかったことを覚えています。

  • いつでも前向きで、何があっても私の一番の味方でいてくれた母。大人になった今も、時間を見つけては2人で旅行に出かけるほど仲良しです。