「あなたはあなた」課題の分離。子どもの課題は切り捨てる。
「わたしはわたし」自尊心を育む子育て
- 名前
- 浅倉利衣 / Rie Asakura
- 家族
- 4人 (7歳と5歳の女の子)
- 所在地
- 東京都
- お仕事
- ライフスタイルプロデューサー
- URL
- Rie Asakura (@rie_asakura) Instagram
本連載が始まるにあたって、連載のメインタイトルを、『「わたしはわたし」自尊心を育む子育て』にしました。
ではそれを親の立場に置き換えると、、、『「あなたはあなた」1人の別の人間として尊重する』でしょうか。
タイトルにも書いた、「子どもの課題を切り捨てる」
ちょっと強めの表現かもしれません。でも、2020年3月〜5月の休校期間中に、これってすごく大切なことだなと体験をもって思い知ったので、あえてそう書いてみます。
何が起きたかは第2 回目コラムをぜひ読んで頂くとして、経験から得た 貴重な気づきは、「子どもが困る状況を無意識のうちに親が奪っていないか」ということ。
今まで、あの時ほど、子どもの「勉強」「教育」というテーマに真剣に向き合ったことはなかったかもしれません。
長女は慣れないオンラインでの英語のみの授業についていけず、癇癪を起こしたり、もうやだ!とたびたび放り出したり。
私 としては、家事に追われ仕事も全くできずイライラの限界の中、自分が行きたいと言った学校なのにぐずってばかりで。「こっちがぐずりたいわ! 」と、追い込む始末。焦りの渦中にも入りこみ、大切なことが見えなくなっていました。とうとう私は疲れ果て、捻挫という強制終了まで入って動けなくなり、内側でいろんなことがガラガラと崩れ落ちました。そしてどうなったかというと、今まで の教育や無意識のうちにしていたことに???で頭がいっぱいになりました。
「あれ?なんで親が勉強しなさいって命令するんだっけ?」
「あれやりなさいこれやりなさいって、子どもの課題に土足で踏み込んでいないだろうか?」
「これはそもそも親の課題ではなくて子どもの課題であって、自発的に解決する機会を奪ってないだろうか?」
「子どもは親の期待を満たすために生きているわけではないのにそういうことしてないか?」
今までの固定観念や当たり前とされていたことなどに対しても、子どものようにいったんまっさらになり、なんで?なんで?のなんでちゃんになりました(笑)
とはいえ、子どもの課題は気になるものです。
母親なんか特に、生まれる前からずっと一緒。妊娠中は一心同体。どちらかというと「わたしはあなた、あなたはわたし」みたいなもの。だから、ついつい自分のことのように気になってしまうのはごく自然なことだと思います。
でも、深呼吸して、 3秒置いて、もう一度考える。
もしかしたら、子どもは親が思うほど困っていないかもしれない。
もしくは、本当に困る状況の前に手出し口出ししていたら、真の意味で「こうしよう」と自発的に解決しようとしなくならないかもしれない。
ではなぜ介入してしまうのか。当時 の自分を俯瞰してみて思うのは、
親が不安なんですよね。つい先回りして心配してしまう。
「授業についていけなくなったら進学できないかもしれない」
「海外でも通用するためにはあれもできるようにならなければ」等×1000,,,。
子どもの先回りをして手出し口出しをする方が、実は楽という側面もあると思います。
それと、娘に対して私が焦りイライラしていたのも、彼女はただ、私自身の自分に対しての焦りやイライラの意識を投影して見せてくれていたんだということにも気づきました。
子どもをどうこうしようとする前に、私がまず自分を整えることが必要だと痛感したのです。
それに気づいてからは、「子どもが困る状況を奪わない」ことを意識的にするようにしました。
勉強についていえば、もしも本人が勉強したいと思った時にはいつでもサポートをする準備があることを伝えておきました。けれども子どもの課題に土足で踏み込むことはしない。頼まれてもないのに、あれこれ口出ししない。本当に困った時にどうするか、子どもが自ら成長しようとする機会を奪わないでいたいなと思いました。
そして、親の私は自分を整えることに集中する。どしっと構えている親の眼差しに包まれたら、子どもはどれだけ安心感を覚え、本来の自分を生きだすのでしょうか。私たちも子どもの時はあったわけで、自分が子どもの立場になって色々思い出し向き合ってみると、実はとてもシンプルな気さえします。
そして、 夫とも改めてじっくり話し合いました。夫の考え、私の考え、異なることももちろんあります。でも、根っこの部分で合致していることは、子ども達の「自立」。そのために、親が勝手に決めた「やらなきゃいけないこと」ではなく、子ども自身のなかから生まれてくる「やってみたいこと」を尊重する。そして、困った時に自発的に考える機会を尊重する。
それからです、少しずつ長女に変化がみえてきたのは。彼女も、親の心持ちを全身で感じとったのかもしれません。
例えばある日、夜寝る時間になっても、まだ宿題が終わっていなかった時、「まだやりたい」と自分から言って黙々とやり始めました。宿題をしないままついていけないことが悔しくなったそう。また、Readingやクリエイティブなアート、ダンスは、自分からとても楽しそうに取り組んでいることも観察していてわかってきました。
得意なこと、苦手なこと、好きなこと、嫌いなこと、悔しい思い、その時どうしたいかも、本人が自分で体験しながらわかっていくこと。
距離の近い存在だからこそ執着が生まれやすい親子という関係。だからこそ、意識的にピっと線引きして課題を分離する。差し伸べれば届く。けれど相手の領域には踏み込まない。
それぐらいの適度な距離を保ちながら、1人の別の人間として、俯瞰して、尊重して見守っていけたらいいですよね。
〈浅倉利衣さん連載〉
「わたしはわたし」自尊心を育む子育て